神経レベルまで考えた瞬間、意味不明になる言語の認知
こんばんは。べんとうです。
今日は、用事があったのですが、完全にオフモードになってしまい、うっかりこの時間まで寝てYouTubeを見て過ごしていました。
充電は95%完了といったところでしょうか。
さて、以下のフレーズをご覧ください。
「鬼ださい」
「鬼プレー」
「鬼帰宅」
「鬼辛い」
「鬼こわい」
これらの文章は、鬼+名詞or形容詞ですべて統一されていますが、2通りの解釈の仕方が出来ます。
①鬼(主語)+ 述語
②鬼(修飾語)+被修飾語
修飾語という言葉を忘れてしまった人は、形容詞・副詞のことだと思ってください。
ただ、上記の中でも主語・述語が不一致になるものがあり、「鬼プレー」がそれにあたります。
それ以外は頭のチャンネルの切り替え方によって、解釈が変わるのですが、なにか不思議じゃありませんか?
どういう脳の機能をもってこの文法をスイッチを入れ替えているのでしょう。
目の錯覚というので、右回りにも左回りにも見える女の人の影の映像を見たことがある方も多いと思いますが、この文章でも同じような頭のチャンネルの切り替えが行われているように思えます。
しかも、修飾・被修飾の関係でみると、混ざりあいやファサっと意味の感覚が被さる感じがするんですよね。一方、主語・述語の関係でみると、より無機質に感じ、全体的に長い印象を覚えます。
何が違うのでしょうか。ここまで高次な文法処理が、古典的条件づけのみによって習得されているとは考えづらいですよね。
文法は、何を以て覚えているのでしょうか。
もちろん、普遍文法の存在くらいは知っていますが、それすらも抽象的で目に見えぬものなのでわかりません。