5/8(月)
カンボジアとの国境に位置するタイの街、アランヤプラテート。東南アジアで最大級と名高い古着市場がある。滞在4日のうち2日間をかけて駆け回ったが、新品中古品問わず物量がかなり多く、真贋入り乱れている。その上に表面上は一般のお客を相手にしてるようだが、大半のお店は卸客用に在庫の倉庫を近辺に構えているようで、2日間の滞在では何も分からなかったというのが実のところである。
アランヤプラテートからバンコクまでは日に2本の直通列車が走っている。7時と13時だ。4日目の移動日は朝7時の電車に乗ってバンコクへ発とうと思っていた。起床。時計を見ると時刻は12時過ぎ。これでは13時の列車に間に合うかも怪しいところだ。大急ぎで散らかした荷物をまとめて、宿を出た。
この辺の街ではタクシー配車アプリは機能していないようで、かといって野良のタクシーと交渉するような時間はないので、40リットルバックパックの重みを肩で存分に感じながら炎天下を走った。
走ったのが功を奏したか、駅に着いてみるとまだチケットカウンターは開いていない。先頭に並んでいた緑のビーニーを被った渋いお爺さんに聞くと、あと20分でカウンターが開くと言うので、遅めの朝食を取ることにした。
駅を出て右手の方に屋台があったのでそこでヌンパンを食べた。カンボジアではヌンパンと呼ばれ、発祥の地であろうベトナムではバインミーと呼ばれているサンドイッチだ。タイでの正式名称は知らない。色々な種類があるのだろうが、どれをとってもヌンパンはかなり食べづらい部類の食べ物だ。フランス仕込みのバキバキに固いフランスパンの真ん中に一本切り込みを入れて、甘みのあるバターを塗って温める。そして豚のハム、甘い漬物、香草数種類、チリソース、唐辛子などをこれでもかと詰め込んだサンドイッチだ。この固くて辛くてデカいのを口いっぱいに頬張るもんだから、口内は出血し、唇は焼け、顎は破壊さる。しかしパンも美味けりゃ、甘味と塩味、酸味と辛味など多彩な味付けの妙もあり、食べる手を止めずにいられない。
そうして口周りをボロボロにし、大汗をかきながら一心不乱に齧り付いていると、チケットカウンターが開いたようだ。
手に持つヌンパンの最後の二口を一口で放り込み、列に並ぶ。
バンコクの中心地まで48バーツ。300キロ弱の距離を6時間かけて届ける列車の運賃が、日本円にして200円弱だ。なんと素晴らしいことであろうか。
もちろん安いものには理由がある。ときには40℃にもなるような今の時期のタイでエアコンなしである。扇風機は回っても、届けられるのは熱波のみ。
電車に乗り込み、チケットと各ボックス席の上に書いてある番号を照らし合わせようと思うが、どうやらチケットに席番号は書いていない。それならばと、なるべく人がおらず、足を伸ばせる席をと思い列車の端の方まで歩いてみる。一番端の車両まで来た。すると奥のボックス席に座っている中年の男が手招きしている。「指定席じゃないよ。ここ座れば?」と彼は言った。人がいない席を求めていたが、彼は英語も話せるようだし、お言葉に甘えて彼の向かいに座る。
彼は韓国系タイ人で、名前はカンというらしい。たわいもない話をした。僕がバンコクではドミトリーに泊まるんだというと彼は
「気をつけろよ。こんな話がある。俺は5年前ラオスに旅行に行って女の子とホテルで飲んでいたら眠くなって寝てしまった。次の日起きたら、パスポート、財布、携帯全て盗まれていた。もちろん女の子はいない。タイ大使館に行って泣きながら母に電話したんだ。それから酒はやめたよ。」と。あまりに唐突だが、戒めに富んだ話だ。タイ人だろうが日本人だろうが現地人だろうが、やられるときはやられる、これは大きな学びであり、僕はかなり身が引き締まったので、セキュリティポーチの購入を検討する。
バンコクまであと4時間。Mr.カンは通路を挟んで隣のボックス席に座っている2人の男たちと、おそらく政治談義をしている。タイ語は分からないが、ときどき聞こえるアメリカ、チャイナという国名、ジャパンと言いながら僕を指差し、次にはアメリカと言いながら両の手を繋ぐジェスチャーから国際政治みたいな話をしていると推測した。白熱しているのは伝わるが、内容はひとつも入ってこない。入ってくるはずもない。タイ語の嵐を背にして、窓の外を見やると、遠くの方にスコールの柱があった。雨季の到来を感じる。
バンコクまであと3時間。弁当やら飲み物を抱えた売り子の1人にMr.カンが声をかける。そして僕の方を見て「これ美味いぞ」という。他の売り子には見向きもしなかった周りにいた乗客も買うようだ。腹も減っていたので僕も買おうと財布を出すが先か、Mr.カンは僕の分まで購入してくれたようだ。売り子に手渡されたのは、なにやらプルプルしたものである。初めてみたのでうまく説明できるか分からないが、幅奥行き高さが5×10×3cmで形は長方形。薄いプルプルがミルフィーユ上に五段重ねられており、上のプルプルは緑色、一段下がるごとにグラデーションして明るい色になっており、最下段のプルプルは白色だ。それが簡易的な透明の袋に入っていて、封はついていないようだ。こんなものは何か知らずして食べない方がいいなと思うが、腐った豆を日常的に食べて鍛えた日本人の胃である。死ぬわけではない。袋からその毒々しく角張った頭を出して、齧り付くと、これが非常に美味い。日本のもので例えると“ういろう”に似た生菓子で、味蕾を全開に機能させて味わうと、ココナツと砂糖と米を感じられた。Mr.カンに聞いてみると材料はだいたい当たっており、米粉ではなくタピオカ粉で出来ている、タイ語でカノムチャンというお菓子なんだという。知らない怪しげなものは食べてみるものである。次見かけたらまた買ってみよう。
バンコクに着いたのは19時。Mr.カンにお礼を言って、流れで連絡先を交換した。駅などはなく、2本の大きな車道に挟まれた線路の上に降り立った。
2週間前には24時間のバス移動を経験していたので、6時間の移動はさほど苦にはならなかった。それでも身体は正直で、腰が良い音を鳴らしていたし、朝一の全力ダッシュのおかげで少し臭う。電車の方が安いが、そこは自分を甘やかし、バイクタクシーを捕まえて宿へ向かった。バンコクの街の大きさと、運転手の疾風さながらのドライビングテクニックに息を呑んでいると、あっという間に宿に着いた。
宿の建物はオレンジとパープルを基調にしており、色の主張の強さからカノムチャンを思わせる。派手な色彩の外見とは裏腹に?白壁の綺麗な客室をしており、今日から1週間、バンコクの喧騒に揉まれた体を休めるには十分すぎるほどである。
シャワーを浴びて移動の疲れと埃を落とす。屋上で一服。新鮮なリネンの隙間に体を滑り込ませて、目を瞑る。極上の瞬間。僕はこの瞬間のために動き回っている。そう思わざるを得なかった。