ケニアの食卓 ナイロビのラーメン事情
はじめに
30年近く、アジアとアフリカを舞台に、国際協力という仕事をしていましたが、最後は、去年まで3年間赴任したケニアでした。ケニアには以前にも3年間赴任したことがあり、通算6年間、母国日本以外で最も長く滞在した国です。そのため、思い出が沢山あり、その中には毎日のことである食の思い出も大きな部分を占めています。そして、近年はスマホの発達で、いつもカメラを持ち歩いている状態なので、食べることが好きな私は、ほぼ毎食を撮影しています。そこで、3年間で撮り溜めたケニアの食卓を紹介したいと思います。
20世期末アフリカのラーメン事情
私が初めてアフリカに行き、2年半住むことになったのは1991年で、場所はアフリカ南部のザンビアという国の片田舎でした。そこで、青年海外協力隊員として、高校1年生に理科と数学の教師をしていました。その頃、ザンビアの首都ルサカでも、もちろん、ラーメン屋などはないし、スーパーマーケットに行ってもインスタントラーメンなんて滅多にありません。たまに、台湾製のインスタントラーメンが入ると、大喜びで箱買いしたものです。そして、田舎の任地に戻って、貴重なインスタントラーメンを食べると、心の底から豊な気分になりました。一方、2年半の任期中で一度だけ認められていた近隣国への旅行で、ナイロビに行くと、何軒かの日本食レストランがあり、その当時あった「日本人クラブ」というレストランでラーメンを食べたときは感動で目から涙がこぼれそうでした。こうした体験から、ラーメンは私にとってのソウルフードであると認識するようになりました。
現代ナイロビの日本食事情
1998年から3年間、ナイロビに赴任すると、まだ、日本人クラブはあって、時々、日本食を食べに行ったものです。2016年から去年まで、再び、ナイロビ在住になりましたが、日本食レストランの数は、それほど増えておらず、かえって日本人が納得できる日本食レストランは減った印象を受けました。以前に紹介したようなTeriyaki Japanのようなカジュアルな日本食や空港のカフェの不思議な日本食は、少々、極端な例ですが、あまり日本食らしくない日本食が増えました。また、日本食レストランの多くが韓国人経営という事情があり、日本食を期待すると違うかなというものが出てきたことが良くありました。そんなナイロビの日本食レストランは、オードブルとして寿司を出して、メインに鉄板焼きを出す、一昔前のアメリカン日本食スタイルが一般的です。そのため、残念ながら、日本式の美味しいラーメンを出す店はあまりありません。ただ、一方で、今は、街中の小さな商店にもインスタントラーメンが普通に売られるようになりました。もちろん、日本製のラーメンではないし、日本的なラーメンの味ではないけれど、ザンビアでインスタントラーメンがご馳走だった時代と比べると隔世の感があります。そういえば、日清食品がケニアの大学と共同開発したインスタントラーメンもあって、日本人にとっては、他のインスタントラーメンより、これが美味しいです。
本格的な日本食レストラン
現在のナイロビにも、日本人経営者が営む「居酒屋チェカ」というレストランがあり、また、同じ系列の「チェカフェ」があります。居酒屋チェカは、その名の通り、日本人にとって納得できる居酒屋メニューとランチタイムには定食もあるレストランです。開放感のあるテラス席で、ナイロビでは貴重な日本酒を飲みながら美味しいつまみを食べることもできるし、唐揚げ、肉野菜炒め、天ぷらなど、日本人にとっては馴染み深い普通の食事が美味しくいただけます。
日本食レストランのラーメン
少しそれてしまいましたが、本題のラーメンに戻ります。居酒屋チェカは、さすがに日本人経営だけあって、本格的な豚骨ラーメンがあります。そして、ナイロビなので、日本のラーメン店ではない組み合わせ、赤ワインを味わいながら豚骨ラーメンというのをやってみたら、病みつきになり、何度かやりました。チェカフェは、居酒屋チェカと同じ経営者による別の店舗で、ここは名前の通り、カフェのメニューがメインですが、食事はラーメンがメインとなっています。そして、カフェなので、日本人にとっては嬉しいパフェが充実しています。実は、チェカフェで、初めて赤ワインとラーメンの取り合わせをやってみて、美味しかったので、居酒屋チェカでもやるようになりました。赤ワインとラーメン、そして、しめにパフェは、如何にも不健康ですが、休日の贅沢なランチとして堪能しました。日本でも、ワインを出すラーメン店は流行りそうな気がします。さて、写真は、最初が居酒屋チェカの豚骨ラーメンで、チェカフェのラーメンとパフェが続きます。
近所のショッピングモールのラーメン
私の住んでいた場所はナイロビでも北の外れにあるロイサンブ地区で、居酒屋チャカのあるウエストランド地区からは遠くて、気軽に行ける場所ではありません。気軽な外食は、もっぱら徒歩3分のところにあるショッピングモールでした。そこのフードコートにあるメキシコ料理店でなぜか、チキンヌードルスープという料理があって、時々、食べに行きました。日本のラーメンというのとは違いますが、大きなカテゴリーでラーメンと呼んで良いものです。麺は小麦ではなく、米粉で、スープには刻んだコリアンダーが入っていて、バンコクの屋台でありそうな味のラーメンです。見た目は良くないですが、そこそこ、良い味を出していました。おそらく、これを食事にするケニアの人はいないのか、量は少なめなので、食欲があまりないときは良く食べに行きました。
ジェノサイド・ミュージアムのラーメン
ナイロビから外れてしまいますが、ルワンダのキガリにあるジェノサイド・メモリアル・ミュージアムに行ったとき、そこのカフェにラーメンがあって、びっくりしました。インスタントラーメンに野菜と肉を加えたもので、それにパンが付いてきます。ラーメンはスープと分類されて、それにパンが付く感覚は、元フランス語圏的な食文化の発想だなと合点がいきます。博物館のテーマがテーマだけに、展示物は神妙な気持ちで見てきましたが、カフェは開放的なテラス席で、重苦しくなった気持ちをほぐすには良いところでした。
駐在員の自炊ラーメン
最後に、ナイロビにいても日本的なラーメンを手軽に自炊することで、ラーメン飢餓を防止してきた自炊ラーメンをご紹介します。一時帰国をすると、大抵、袋ラーメンを買ってきますが、それは、すぐに終わってしまいます。そこで、ある時、ひらめいて、家庭で生麺を調理するときに使う袋入りの液体スープを持ってゆくことにしました。インスタントラーメンよりも、ずうっと、かさばらないので、30食分ぐらいは簡単に持ってゆけます。そして、麺はどうするかというと、中華乾麺なども売っているのですが、もっと手軽に、細麺のスパゲティーを使っていました。結構、これで満足して、私のソウルフードであるラーメンに対して飢餓に陥ることは、なくなりました。
まとめ
日本では、国民食と言えるほどに一般的なラーメンが20世紀のアフリカには全く知られていませんでした。1991年、ザンビアにいたとき、この国でもインスタントラーメンが小さな商店でも売られるようになる日が来るのか、なんて、夢想したものです。そして、去年までいたケニアでは、日清食品とケニアの大学が共同開発したインスタントラーメンができるまで、時代は変わりました。アフリカに住んでいると、進歩はゆっくりと感じます。でも、ラーメンという食べ物一つをとってみても、アフリカでも着実に時代は進んでいることが実感されます。そんなことを考えながらラーメンをすすると、味わいが一層深いものに感じられます。
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