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アフリカの友と剣を交える喜び

はじめに

日本はバブル景気で浮かれる1991年、青年海外協力隊員としてアフリカのザンビアという国に派遣されました。任地は首都ルサカから遠く離れたムピカという田舎町で、日本人どころか外国人はほとんど見かけないような場所でした。そんなアフリカにどっぷりと浸かった後、日本社会には復帰せず、国際協力の仕事を生業としてきました。仕事でアジアやアフリカの途上国を回るうちに、ルワンダにたどり着きました。そこでは、偶然に知り合ったカンフーのチームに、私が長年続けているスポーツチャンバラという競技を教えることになりました。スポンジの剣で思い切り殴り合うことで、アフリカの友人達と絆を深めた様子を描きたいと思います。

強さを求める心

武道や格闘技に関心がない人にとっては、なぜ子供ばかりではなく良い大人が戦いに熱狂するか不思議かも知れません。でも、私もそうだったのですが、武道や格闘技をする人の中には子供の頃にいじめにあったことが、きっかけになっていたりします。暴力を伴ういじめとは、どんなものかご存じない方も多いと思うので説明しますと、まずは孤立状態が作られ、多勢に無勢で抵抗できない状況になってから肉体的な暴行が始まります。そんな子供の頃の嫌な記憶を引きずると、その後の生活環境がよくなっても、自分に肯定的なイメージが持てず、幸福を味わうことはありません。それを打ち砕くには、自分が肉体的に強くなることで子供の頃の否定的な記憶を上書きするしかありません。まあ、多かれ少なかれ、格闘技や武道が好きな人にはこんな原体験があります。

自由に戦える喜び

反撃が許されない状況で叩かれ続けた記憶を上書きするには、格闘技はうってつけです。フェアな状況でお互いが自由に攻防できるのですから、一方的にやられただけの記憶を吹っ飛ばすには優れものです。そして、格闘技を習いにゆくと、面白いことに、いじめをしていたような人達も習いに来ていたりします。こういう人達と剣や拳を交えると、言葉以上に打ち解けて、お互いの強さに敬意を払うことができます。多分、格闘技がなくて、言葉でコミュニケーションをとっただけならば、分かり合えなかったに違いありません。学校教育では、言葉によるコミュニケーションが推奨され、肉体的な闘争は暴力として排除されますが、肉体を持つ人間が分かり合うには戦いも必要なのです。

ルワンダでの出会い

仕事でルワンダに半年ほど赴任したとき、宿から歩いて近くにある小さな湖に散歩に行くと、何やら武道の掛け声のようなものが聞こえました。その方向を見ると、カンフーの練習をしている集団が見えました。そこで、私もその場所で休日にスポーツチャンバラ(以下、スポチャン)の練習をすることにしました。すると、チームのリーダーから教えて欲しいと請われて、指導が始まりました。

ルワンダの若者達と剣を交えて

スポチャンの指導には基礎練習もありますが、主には柔らかい剣による自由な打ち合いです。そこで、自分の子供ぐらいの歳の若者達とバンバン打ち合いました。リーダーをはじめとするチームのメンバーは、打ち合いを本当に楽しんで、私が良い技を出すと、喜んでくれるとともに一所懸命に盗んでくれました。私は、剣を交えるコミュニケーションが日本だけではなく遠く離れたルワンダでも通じることを確信しました。そして、リーダーは、元々、こうした自由な戦いが好きで、カンフーでも形稽古よりスパーリングを好んでいました。そんなこともあり、柔らかい剣で怪我をする心配もなく戦えるスポチャンに可能性を見出して、カンフーからスポチャンに取り組む対象を変えました。それが、2013年のことで、今でも私はルワンダのスポチャンチームと繋がりを持っています。

互助システムとしてのスポチャンチーム

スポチャンチームには子供から初老の人まで、色々な年齢層のメンバーがいます。その中のとても熱心な高校生が学校を卒業することになったのですが、彼を雇い入れたのはスポチャンチームのメンバーでレストラン経営をしている人です。雇われた若者は、真面目に働いて料理の腕を上げています。また、学校に行くにも文房具や制服が買えない子供には、やはり、大人のスポチャンメンバーが支援をすることもしばしばです。つまり、単なる趣味の会というよりは、互助システムとして機能しています。スポーツというと、日本ではただの余暇の楽しみですが、ルワンダのような国では、そうしてできた人との繋がりは人生全般に関わる大きな財産であることが分かりました。

まとめ(人と繋がる豊かさ)

剣を交えることで子供の頃の嫌な記憶を乗り越えて、かつては仲良くできなかった種類の人々とも打ち解けられました。また、海を越えて遠くアフリカに行っても、やはり、剣を交えることで分かり合える友がたくさんできました。そして、色々な意味で社会保障制度が発達していないアフリカでは、こうした人との繋がりが大きな財産であることも分りました。社会保障制度は良いに越した事はありませんが、好きなことを通じてできた絆というものは強く、優しいものです。そういう有り難さを実感できるアフリカの社会は、ある意味、日本のように高度に発達した社会よりも、人と繋がる豊かさを味わえるのではないでしょうか。

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