音楽好きのためのクラシック音楽入門 #1 メシアン 《トゥランガリラ交響曲》
前置き
ラジオ・コケティッシュというポッドキャストをやっております、ベンです。
私にとってnoteは別にポッドキャストの(回り回ってそうなったとしても)宣伝のために書く訳ではなく、かといって社会貢献のために書こうとしている訳でもないのでもありません。自分自身でテーマを設定した文章を書いてそれを残しておきたいという思いと、それならば自分の書きたい文章で誰かの役に立つかもしれないしそのテーマについて思うことを共有することができる方に発見してもらえると嬉しいという思いで書こうとしております。
「音楽好きのためのクラシック音楽入門」シリーズは、ポピュラーミュージックを聴くのは好き、ロックは好き、テクノは好き、だけどクラシック音楽はよくわからない、でも興味はある。みたいな人に向けた記事にしようと思っています。しかし、私は欲張りなので、クラシック音楽がもともと好きな人にも新しい発見であったり強い共感を覚えてもらえるような記事を書こうと思っています。
その辺りを考慮した上で、考えている記事のスタンスは
歴史とか、名曲だとかそういった難しいことはあまり考慮しない。そこらへんのことは気になった方はWikipediaか書籍を読む。
とはいえ、私自身の気質で小難しいこと書きがちなので、小難しいこと書き始めたら読み飛ばしてほしい。
YouTube上でアクセスできる音源および映像があるもののみ取り扱う。
現代音楽も、クラシック音楽の文脈上にあればクラシック音楽として扱う。
あまり細かいことを言わない、ここがアツい、とかカッコいい、とかそのくらい。でも作曲家や曲の基礎中の基礎知識くらいは必要に応じて書く。
といった感じです。読む方にはローカロリーに作りたいですが、そうしようとするほど書く側はハイカロリーになるので、どれだけ続けられるかわかりませんがお付き合いください。レスポンスをいただけると続ける活力になります。どぞよろしく。
#1 オリヴィエ・メシアン 《トゥランガリラ交響曲》
さて、クラシック音楽ファンからすると#1からなんつーものを紹介するんだと思われるかもしれません。今回紹介するのは、フランス出身で20世紀の最も偉大な作曲家の一人、オリヴィエ・メシアン(1908−1992)の作品です。
作品の背景、作曲者について(そんなに読まなくてもいい)
1948年に作曲された《トゥランガリラ交響曲》はすごく乱暴に言ってしまうとそれまでのクラシック音楽の諸要素をなるべく多く一つの作品に詰め込んだ記念碑的作品です。きちんと理解しようと分析するととてつもない労力を要する密度めちゃ高で難易度S級のモンスター作品とでも思っておいてください。
ただこの作品、あくまで私の持論ですが、クソたくさんの要素技法を詰め込んでおきながら、恐らくメシアンは表層に現れる響きを、彼の他の作品とあえて差別化し、かなりキャッチーなものにした、野暮な言い方をすると「ウケ狙い」のスタンスで作曲したものになっています。
メシアンの作品の多くは、その難解なスタイルから作曲されてから何十年も経過した今日もなお「現代音楽」と呼ばれ、まだまだ一般に親しまれているとは言えず、演奏会での実演の機会も多くありません。ただし、古典を意味する「クラシック音楽」の文脈上に確かに存在し、いつの日か彼の作品が「クラシック音楽」とされる日は必ず訪れます。
《トゥランガリラ交響曲》
メシアンはこの作品を第2次世界大戦の最中、ボストンにあるクーセヴィツキー財団という20世紀のクラシック音楽における一大パトロンによって依頼されて作曲し、最初は通常の交響曲として構想されていましたが、どんどん規模を拡大し、最終的には10もの楽章を持つ、通常の上演時間だと大体80分ほどかかる上に100名ほどの巨大なオーケストラの編成による超豪華な作品となりました。
タイトルの「トゥランガリラTurangalîla」とはサンスクリット語(梵語)であり、この作品の持つインド音楽との密接な関わりを示しています。余談ですが、フランスのクラシック音楽の一つの特徴として、外国の音楽、芸術文化を積極的に取り入れるというものがあります。教養として知っておいてもいいかもしれません。
そしてこの交響曲の最も重要な特徴はやはり「オンド・マルトノOndes Martenot」という電子楽器が大変重要な役割を担っているということでしょう。
アンプを通さないアコースティック楽器のみで編成されることがほとんどであるオーケストラ作品の中で、バリバリ電子楽器のオンド・マルトノが大活躍するこの作品はかなり異色であり、同時にこの楽器の名前を世界中に知らしめたという功績もあります。
オンド・マルトノについては日本人の数少ないオンド・マルトノ奏者原田節さんのサイトに詳しく載っております。
さて、そのクソ長い交響曲、全部聴けとは言いません。今回は第5楽章〈星たちの血の喜び Joie du Sang des Étoiles〉をピックアップして紹介いたします。メシアン自身もこの作品があまりにも長いことを自覚しており、複数楽章あってもそれら全部によって一つの構成物として扱うことが基本となるクラシックの作品にしては珍しく、部分的に上演することを許容しております。そして、この第5楽章は単独で上演することも想定された唯一の楽章です。つまり、めちゃくちゃキャッチーにデザインされているということですね(主観)。
ちなみにもし抜粋して聴く際のおすすめ優先度としては第5楽章→第10楽章〈終曲 Final〉→第2楽章〈愛の歌-1 Chant d'Amour〉です。その他の楽章も聴きたいと思ったら作品全部を通して聴こうね。長いけど。
映像
(途中で映像や音声が乱れますが、演奏とカメラワークがあまりにも素敵なのでこの映像にしました)
さて、この第5楽章を聴いていただいてどんな印象をお持ちでしょうか。通常のクラシック音楽とはかなりかけ離れていると感じられたのではないでしょうか。
私もそのように感じます。クラシック音楽の一般的なイメージ:「高尚」「癒し」「知的」などを全て否定するような、音響とリズムの暴力が飽和する音楽です。
この楽章の副題「星たちの血の喜び」をまさにその通りだなと思わせる、様々なリズムと和音がそこかしこに溢れ宇宙に混在する混沌と調和が描写されています。メロディの短いフレーズが様々な楽器によってリレーされて星々の強い輝きの呼応が表現され、様々な音色およびリズムで表現される小さな星々それぞれが持つ輝きが残る隙間を埋めて音響を飽和させます。
オンド・マルトノのちょっと間抜けだけど艶やかな電子音、輝かしく強い金管楽器のサウンドの目立つ主要部分を終えると狂ったように弾かれるピアノソロ(5:23)を経由したのち、D♭のメジャーコードが最弱奏から最強奏へと強度を増しながら神々しく鳴り響き大円団。
こんなにもグロテスクに自然を模倣した音楽があるだろうかと思わされます。
何よりもすごいのがこんなハチャメチャに聞こえる作品が全て計算ずくで構成されているということです。不協和音に溢れる音響も、常に様々な種類が鳴り響くリズムも、最後の適当にぶっ叩いているようにさえ感じられるピアノソロも、全てメシアンの頭の中、楽譜の上で計算され尽くしていると考えるとスケールの大きさに目が眩みます。
ただ一方で、あまり何も考えず聴いた時、まるでクラブ・ミュージックのように感じられませんか?(ちょっと無理があるかもしれないけど)
8分の3拍子だけど、ほとんど常に16ビートが鳴り響く中何度も同じメロディが繰り返され、汚い音響の中でオンド・マルトノのポップなサウンドが耳を惹きつける。ある種退廃的なムードに溢れた音楽が展開された後に、狂気のピアノソロを経由して負のエネルギーを全て強引に払拭するようなアウトロ。
私はこの音楽はつまるところやっぱりクラシック音楽だと思うけど、限りなくポップに聞こえるし、聴くとテンションがブチ上がります。
終わりに
というわけで、クラシック音楽入門と銘打っておきながらかなり怪しい作品を紹介しましたが、ここにはひとえにクラシック音楽に対するステレオタイプの払拭を狙う意図がありました。
次回以降も同じような熱量で続けられるかはわかりませんが、続くことがあれば次回からは基本的に、一般に「クラシック音楽」と呼ぶことに差し支えない作品の面白ポイントを紹介するシリーズにしていきます。
読んでくださってありがとうございました。ラジオ・コケティッシュではこんな真面目な話はほぼしておりませんので、もし興味を持っていただいて我々の番組を聴いていただいたとしても失望しないでください、どうぞよろしく。
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