損な役回り
何年も前の忌々しい思い出の話だ。
電車が俺を地元まで運んで吐き出した。もう夜になっていて、降車していく雪崩みたいな人混みに仕方なく身を委ねてホームに足を着けると、俺の降車口から少し改札までの階段に近い側でパンと何かを打ち付けるような音が響いたのが聞こえた、すぐにそこらに人集りが出来上がった。階段を目指して歩きながらそちらを見ると、学生時分の女が卒倒して地面に頭を打ち付けてしまったのを付近の何人かで介抱しているのが分かった。そのうちの一人が
「誰か救急車を!」
とすぐに叫びだした。俺はそれを横目で見ながら、お前が呼べば良いじゃねぇかと思ったが、そいつの叫びにまわりは我関せずばかりで誰も扇動されてないのもすぐに分かり、俺は仕方なく当時使っていたガラケーをポケットから取り出して救急車の呼び出しにかかろうとした。番号はちょうど直近の発信履歴に残っていた。てめぇで起こした交通事故の事後のやつだった。そんな俺の挙動を見た奴らのうちの一人が
「あいつが呼んでる!」
と俺を見遣りながら叫んだ。あいつってなんだよ、お前なんか明らかに俺より歳下だろバカ野郎。俺はそれで他の奴らからも視線を受けて止めるわけにはいかなくなり、ダイヤルをプッシュして救急隊の問答に応じる格好になった。めんどくせぇな。俺は直近でやっていた動作をトレースしてスムーズに状況を説明してやった。するとそんな俺を見て後はよろしくとばかりに人集りはあっさり散開し、駆け付けてきた駅員と倒れた女と俺だけがホームに残った。あいつらみんな帰っていきやがって、実はお前らが一番薄情なんじゃねぇのか。普通顛末が気になるもんだろ。電話口の救急隊員からその場に残ってくれと言われたのもあり、駅員が介抱しながら女を連れて行った近くのベンチまで伴った。ベンチには駅員と女が隣り合わせ、俺はその少し離れた所で所在なく立っていた。駅員は女に色々な問答をしていた。女は朦朧としているようで、あまり捗っていなかったようだった。駅員は女からようやく肉親の連絡先を聞き出すことに成功したようだったが、双方が俺には一瞥もせず事が進んでいった。そんなホームに次段の電車が滑り込んできた。俺はふと俯瞰でこれ傍から見たら俺はどう映るだろうと想像を走らせた。これ下手すりゃ俺がその女に痴漢か何かを働いた上で駅員がその女に状況を尋ねているような誤解の絵面にならねぇだろうなと危惧した。でも今際にどうしようもねぇ。何せ当事者は俺を除いてみんな帰路についちまっていた。ズルくねぇか、結局女を介抱していた奴らも今や我関せずになってるじゃねぇか。全部俺に押し付けていきやがった。そう思った時にはもう次段の電車の扉は開いていた。ベンチの二人と少し離れた所にいる俺だけがそこから雪崩れて来た人間の目には留まった。俺は少し俯きがちに奴らの様子を測ったが、皆が一様に俺へ蔑んだような視線を送っているのが分かった。いや、俺何にも悪い事してないんですけど。その時間の降車する乗客は相当いた。俺は地元で勝手な誤解を受けながら何にも弁解出来ずにその人波が去るのを見送るしかなかった。と、反対車線の電車も到着し、また同じぐらいの量の人をホームに吐き出して去っていった。違うんだ、誤解するなよ。俺はそんな意気を見送る目線に孕んだが、それは完全に不審者の目線でしかなかった。ついさっきの連中と同じような蔑みの目線が返ってきたのを見て、ちょっと叫びそうになった。何せ地元でだぞ。それが過ぎてからようやく救急隊員が現場に到着し、俺にも事情聴取に入った。早かったけどもうおせぇよ。思わずタバコを吸いそうになった。ままあって倒れた女の肉親も駆け付け、奴らを載せた救急車を見送り、駅員からも帰って大丈夫とだけ言われて、俺はようやく改札の階段を上がっていった。善意から起こした動作から三十分経った頃だった。
「俺ってなんでいつもこういう役回りなんだろ」
もしかしたら呪われてるんじゃねぇかな。かったるく階段を上がりながら声に出していた。
「流石にちょっと飲んで帰ろ」
明日早いけど。俺は誰からも感謝されずに行きつけの汚い暖簾を潜った。いつまでも自分に酔っ払うしかない。
「いつもしがない俺に乾杯。お疲れ様でした」
俺も永く哀しい役回りで生きてきたからな、俺以外のお前らには計り知れねぇだろうよ。お前らの平和は全部俺みたいな奴のおかげだよバカ野郎。俺を笑いながら俺に感謝して俺みたいな奴の事を敬えよ。せめてそのぐらいしてくれねぇと割に合わねぇんだよ。
「これは選ばれた者にしか出来ないんだよ」
どっからか聞こえた。誰も言ってくれねぇから、俺が俺に言ってやっただけかも知れない。誰だ俺を選んだバカは。
「あ~あ、結局いっつもこんなクソみたいな役回りだな」
俺はそれでようやくタバコに火を点けた。