実演における創意工夫としての表現内容の変更の著作権法上の取扱い[1]
一 はじめに
著作物が公衆に提示・提供されるに際して、著作者あるいは著作権者以外の第三者が重要な役割を演ずることは少なくない。例えば、書籍であれば、本文を作成するのは著者であるが、それが実際に公衆に提示・提供されるには、出版社においてDTPアプリを使うなどして版下を作り、目次や索引を作り、印刷して製本する等の役割を演ずるのが通常である。とはいえ、出版社が行うレイアウトの工夫や目次・索引等の作成、印刷・製本に関する工夫は、読みやすさや手に取りやすさ等に影響を与えることはあるにせよ、その書籍から受け取る情報や、その書籍によって読者に生ずる感情等に直接的な影響を与えるものではない。このため、著作権法は、このような役割を演じた第三者に対して、著作者の権利と独立した排他権を与えないことを原則としている。
著作権法は、この原則に対する例外として、レコード製作者、放送事業者、有線放送事業者に著作隣接権という、著作者の権利と独立した排他権を付与している。これは、レコードの製作や、放送、有線放送を可能とする設備の設置及び維持に巨額の資金が必要であった頃の名残に過ぎない。これらの者は、著作物等の情報を広い範囲に伝達することに貢献したことに着目して一定の排他権を付与されたのであって、その伝達の際の創意工夫に着目して付与されたわけではない。
これに対し、上記原則に対するもう1つの例外──実演家への隣接権の付与──は、上記隣接権者の場合とは様相が異なっている。著作物等を実演する行為は、現行著作権法が制定された当時から、特に大きな資金を必要とするものではなかった。また、実演という方法で著作物を伝達したからといって、情報を伝達できる場所的な範囲が特に拡張されるわけではない。それにもかかわらず、実演という方法によって著作物等を公衆に伝達した人に実演家としての著作隣接権が付与されたのは、実演により著作物に新たな情報が付加されることにより、文化的情報財としての価値が増加することが通常期待できるからである[2]。
例えば、作曲家が主旋律を創作するにとどまった場合、実演家がこれを実演するにあたっては、コード進行を設定し、実演参加者が演奏する各楽器について旋律やリズムパターンを設定し、また、主旋律を歌うメインボーカルとは別に、これを補助するバッキングボーカルを置く場合には、バッキングボーカルが歌う旋律を設定することになる。これらの旋律等の設定は、「編曲家」ないし「アレンジャー」と呼ばれる人がまとめて行う場合もあるし、主旋律(あるいは、主旋律+コード進行)を受け取った各実演参加者が自らの担当楽器等の旋律等を考案し、リハーサルないしレコーディングの過程で全体と合わせていく中で完成させていく場合もある[3]。また、主旋律を歌うリードボーカルにおいても、楽譜に記載されているとおりの平板に歌うのではなく、発声する音ごとに強弱や抑揚を付け、さらにコブシやゆらぎ、ファルセットやシャウト等の技法を駆使するのが通例である。また、この過程で特定の音について、作曲家による設定とは高さや長さを変えることも少なくない。また、新たに作曲された楽曲について最初になされた編曲に書き表した楽譜が公表されていたり、新たに作曲された楽曲について最初にその実演が公表されたりした後に、別の実演家グループがこれを演奏するにあたって、元のアレンジとは全く異なるアレンジを採用する場合も少なくない。
このような実演のために行われるアレンジや、各実演の度ごとに行われる旋律等の変更は、著作権法上どのような取扱いを受けるべきなのだろうか。
二 アレンジ等と著作権法上の「編曲」
1 「編曲」として取り扱われることの効果
著作権法第27条は、「著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。」と定めている。実演のために行われるアレンジは、同条にいう「編曲」(以下、「著作権法上の編曲」という。)にあたるのであろうか。
2 アレンジと著作権法上の編曲との関係
では、実演のためのアレンジと著作権法上の編曲との関係をどのように捉えるべきであろうか。
著作権法第27条を文理解釈し、音楽用語としての「編曲」がなされれば直ちに著作権法上の編曲がなされたと解する見解もある。
例えば、半田=松田「著作権法コンメンタール(上)」507頁(井奈波朋子)は、「著作権法27条は、変更部分について創作性の有無を問題としていないのであるから、変更部分に創作性がない場合であっても、原曲の具体的表現に変更を加え、原曲とは異なる印象を与える楽曲を制作した場合には、翻案と解すべきであり、そのような理解が一般の編曲概念とも合致しているように思われる」とする。
ただ、この見解に立った場合、下記のような問題が生ずる。
① 新たなアレンジをした上で演奏しようとする楽曲について、著作権管理事業者が著作権法第27条に定める権利の信託譲渡等まで受けていなかった場合[4]には、著作権管理事業者から演奏についての許諾を受けるだけでは足りず、新たなアレンジを行うことについて、作曲者等[5]の許諾を受けることが必要となる。
② 新たにアレンジすることが著作権法上の編曲にあたるとすれば、アレンジされた成果物は二次的著作物にあたることとなる。その結果、先行するアレンジの表現上の特徴部分を直接感得できるようなアレンジで特定の楽曲を演奏するにあたっては、作曲者だけでなく、アレンジャーの許諾を得ることが必要となる[6]。
③ 著作権法第43条を文理解釈する立場に立った場合、音楽著作物を編曲した上で自由利用できるのは、第30条第1項、第33条第1項、第34条第1項、第35条の方法による場合に限定されてしまう。すると、アレンジをした上で公に演奏することは、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金を受けない場合であっても、前もって許諾を得ることが必要となる。
先行するアレンジを模倣して実演するにせよ、先行するアレンジとは似ていないアレンジを新たに施して実演するにせよ、著作権等管理事業者から利用許諾を受けるだけでは足りず、作曲家またはアレンジャーからさらに許諾を受けなければならないとするのは、著作権等管理事業法の立法趣旨に反しているように思われる[7]。教育現場において生徒たちの人数や技量、備え付けの楽器構成にあわせてアレンジしようとすれば作曲者等から許諾を得なければならないとする結論は著作権法第38条第1項の趣旨に反しているように思われる。
この点、下級審においては、言語の著作物の「翻案」を「既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為」と定義づけた最高裁判決[8]を参照する形で、著作権法上の編曲を「既存の著作物である楽曲(以下『原曲』という。)に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が原曲の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物である楽曲を創作する行為」と制限的に解釈した裁判例[9]がある。
この裁判例によれば、実演のためのアレンジが著作権法上の編曲にあたるというためには、① 具体的表現に修正、増減、変更等を加えられたこと、及び② ①の変更等により新たに思想又は感情が創作的に表現されたことが必要ということとなる。
3 音楽著作物における「具体的な表現」
では、音楽の著作物における「具体的な表現」とは何を指すのであろうか。
前述の通り、音楽の著作物については、通常、主旋律が作成され、これに対しアレンジがなされ、概ねこのアレンジに沿って実演がなされるという過程で、聴衆に伝達される情報量が飛躍的に増加していく性質を持っている。そして、このような音楽作品の生成過程に大きく寄与している人々のうち、実演家については、著作隣接権者として、著作権者よりは法的保護の範囲が狭い法的地位が付与されている。したがって、音楽作品の生成過程に寄与する行為のうち、実演家が通常行うべき行為については、音楽の著作物たる表現を創作する行為ではなく、既に創作された[10]音楽の著作物たる表現を実演する行為として位置づけることが立法者の意思に合致する[11]。問題は、どのレベルまで作り上げることが「音楽の著作物たる表現」の創作に含まれることとするのかという分水嶺をどこに置くのかである。
この点について、実演家が行った作業は「実演」であり、作曲家や編曲家が行ったのは著作物の創作行為(作曲、編曲)であるとする見解もあり得る。しかし、ポピュラー音楽では、作曲、編曲、実演を同一人が担当する場合も少なくない。また、同じような作業をしたのに、その成果物を自ら実演したが為に、隣接権という一段格落ちする権利しか付与されないということには合理性がない。したがって、このような人的な要素で著作物の創作か実演かを分ける見解は正しくない。
主旋律の創作及びそのアレンジまでは著作物の創作行為(作曲、編曲)にあたり、既になされたアレンジに従って演奏する行為のみが実演行為となるとする見解もあり得る(この見解においては、各実演参加者が自らの担当楽器等の旋律等を考案し、リハーサルないしレコーディングの過程で全体と合わせていく中で完成させていった場合は、これらの参加者が共同して編曲行為を行ったものとして取り扱うこととなろう。)。
しかし、この見解に立った場合、新たなアレンジであっても創作性がなければ著作権法上の編曲にあたらないことになるという違いはあるにせよ、音楽上の「編曲」=著作権法上の編曲とした場合の上記弊害がほぼ生ずることとなってしまう。
現実的な著作権処理の実情からすると、「アレンジは、音楽の著作物における『表現』には含まれない」とする解釈が採られるのが好都合であるが、そのような解釈は、現行法の下において可能であろうか。
同じく実演により公衆に提示されることが予定されている舞踊の著作物においては、著作物たる表現は、実際の演技(連続的な身体の動静)そのものではなく、演技の「型」[12](より正確に言えば、「型」の組み合わせを基本とする振り付け[13])を指すと一般に解されている。そして、演技者において適宜アレンジを加えたとしても、アレンジの対象となった「型」を認識できるようなものである限りにおいては、新たな(二次的)著作物が創作されたものとは認められないと解されている[14]。
この論理を音楽の著作物に敷衍すると、舞踊の著作物における「型」(の組み合わせ)に相当するファンダメンタルなものこそが音楽の著作物における表現であって、このファンダメンタルなものを認識できる限りにおいて、実演家において適宜アレンジを加えたとしても、著作権法上の編曲がなされたとまでは認められないと解することが許されよう。
では、音楽の著作物におけるこのファンダメンタルなものとは何なのであろうか。一般に、楽曲の要素として、旋律、リズム及び和声をもって三要素といわれるが、実際には我々は通常、主旋律に着目して著作物の同一性を判断しているのであるから、原則として主旋律こそ音楽の著作物におけるファンダメンタルなものとみることが許されよう[15]。
そうだとするならば、この主旋律に対し、和声を付し、伴奏を付すなどのアレンジを加えたとしても、音楽の著作物における「表現」である主旋律自体に対しては何らの加工も行っていないのであるから、著作権法上の編曲にはあたらないということとなろう。
4 主旋律自体の変更と著作権法上の編曲
では、実演にあたって主旋律自体を変更した場合には、常に著作権法上の編曲にあたるであろうか。
前掲東京高判平成14年9月6日による限り、著作権法上の編曲にあたるというためには、「具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現する」ことにより別の著作物である楽曲を創作することが必要とされるから、実演にあたって行われる主旋律自体の変更は、それが実演家固有の思想又は感情を表現するためのものであるにせよ、それがありふれたものである場合には、著作権法上の編曲にはあたらないということができる。そして、「実演」を著作物としてではなく、隣接権の対象として保護することとした現行著作権法の趣旨に鑑みるならば、実演における創意工夫の一環ないし感情の発露の結果と認められる程度の主旋律の変更等[16]では、著作権法上の編曲がなされたと認めるべきではなかろう[17]。
三 実演における創意工夫と同一性保持権
1 はじめに
実演家は、第三者が作曲しまたはアレンジした楽曲を実演するにあたってしばしば更なる創意工夫を加えるものである。このような創意工夫の過程でアレンジや主旋律に変更を加えることは、作曲家等の同一性保持権を侵害することとなるのだろうか。
2 伴奏等における創意工夫と同一性保持権
作曲家が創作した主旋律に実演家の側で和声や伴奏等を加えた場合、あるいは、実演家が既発表の楽曲をカバーするにあたって公表時編曲とは異なる楽器構成等で、あるいは公表時編曲とは異なるアレンジで伴奏を行った場合、著作者またはアレンジャーの有する同一性保持権を侵害したこととなるのだろうか。
音楽の著作物たる「表現」を主旋律に限定し、主旋律に和声や伴奏を加える程度のアレンジについては著作権法上の「編曲」にはあたらないという見解に立った場合には、上述のような行為は著作物たる表現それ自体に変更、切除その他の改変を加えるものではないから、同一性保持権侵害という問題を生じないということとなる。
これに対し、アレンジされた結果自体を主旋律に対する二次的著作物と解する見解に立った場合は、公表時編曲等の既存のアレンジに依拠しつつ、楽器構成の違いや演奏者の技術力の違いに合わせてアレンジを変更した場合などにおいては、依拠元のアレンジとの関係で同一性保持権侵害の問題が生じ得るということとなる[18]。
3 実演の際になされる主旋律の改変と同一性保持権
では、実演に際して主旋律自体に変更を加えた場合はどうだろうか。
もちろん、原則として同一性保持権侵害にあたるという考え方もあり得る。しかし、常に楽譜通りに主旋律を歌わなければ著作者人格権侵害となるという結論が、音楽文化の発展に寄与するものとは思われない。
この点、実演に際してある程度の主旋律の変更がなされたとしても、作曲家の「意に反する」とは言えないとする考え方もあり得る。「意に反する」の意味を客観的に理解する見解とともに採用されるのであれば魅力的な見解であるが、多数説は「意に反する」か否かを著作者の主観のみによって決定する見解を採用している以上、楽譜通りに主旋律を歌うことを実演家に強要することとなりかねない。
次に、実演に際してある程度の主旋律の変更がなされたとしても、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしてやむを得ない改変にあたるから、同一性保持権侵害には当たらない(法20条2項4号)とする考え方[19]もあり得る。ただし、実演家の感情の発露としてのアドリブ的な主旋律の改変であれば「やむを得ない」と認められやすいようにも思われるが、実演家がその作品の芸術性やポピュラリティを高めるために行った主旋律の改変についても「やむを得ない」改変と認められるかは、同号に関する従前の裁判例や通説に鑑みると難しいように思われる[20]。
行為としての実演は基本的に二次的著作物創作行為ではないが、著作物たる主旋律に実演という準創作行為を加えることによって主旋律単体とは異なる価値が付加された文化的情報財としての実演を生み出すものであるとは言えるのであって、二次的著作物創作行為と同一性保持権侵害との関係に関する議論を流用できるようにも思われる。すなわち、主旋律を歌唱・演奏する実演家が必ずしも譜面通りに歌唱・演奏することが必ずしも期待されていない実演家に対して、著作権等管理事業者を通じてであれ演奏することを許諾した以上、あるいは、一定の条件の下そのような実演家が無許諾で演奏することを著作権法が許容した以上、主旋律において表現されている著作物の内面形式が維持されている限り、具体的な旋律という著作物の外面形式が変更されたとしても、同一性保持権の問題とはなり得ないと考えるべきではなかろうか。そのような場合、主旋律=著作物に化体された著作者の人格に対する外部的評価は必ずしも変動しないからである。
[1] 本稿は、東京大学著作権法等奨学研究会(JASRAC)の第46回研究会(平成26年6月9日)での報告に加筆したものである。
[2] 加戸守行「著作権法逐条講義[七訂新版]」627頁は、「著作物の創作活動に準じたある種の創作的活動が行われるところから、そういった著作物の創作活動に準じた創作活動を行った者に著作権に準じた保護を与えることことが、その準創作活動を奨励するものであり、かつ、そういった著作物に準ずる準創作物の知的価値を正当に評価するものである」とするが、ほぼ同趣旨といえよう。
[3] ここでは、編曲家によって統一的になされるか、主として各演奏担当者によって分散的になされるかを問わず、特定の楽曲について、演奏家集団全員分の旋律等を確定させていく作業並びに確定した結果を「アレンジ」と呼ぶこととする。
[4] 一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の信託契約約款5条には、「この場合において、委託者が受託者に移転する著作権には、著作権法(昭和45年法律第48号)第28条に規定する権利を含むものとする。 」との文言がある。これを受けて、JASRACは、「著作権法では、編曲や翻訳について、『著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。』と定めています(第27条)。JASRACは、同条に定める翻案権の委託を受けていないため、管理作品の編曲・訳詞にあたっては、関係権利者に直接同意を得ていただくことになります。」としている(「よくある質問」のNo.87 https://secure.okbiz.okwave.jp/jasrac/EokpControl?&tid=10593&event=FE0006)
[5] ただし、作曲者と音楽著作権管理事業者との間に音楽出版社が介在している場合、音楽出版社は、著作権法第27条の権利についても信託譲渡を受けていることが多い。
[6] JASRACにおいては、「作品がはじめてCD等の録音物として発売される時に付された編曲」(公表時編曲)については、音楽出版社がJASR ACに提出する「作品届」の所定の欄に編曲者の氏名が記載されていれば、「公表時編曲者には、カラオケ歌唱による演奏使用料の1/12が分配され」ることとなっている(「会員制度に関する質問」http://www.jasrac.or.jp/contract/member/faq.html)。また、公表後のアレンジについても、JASRACへ「編曲届」を行い、「編曲審査委員会」で承認されると、JASRAC管理を受けることができる(前田哲男=谷口元「音楽ビジネスの著作権」124頁)とされている。そして、同委員会においては、編曲に当たらないとするための基準にあてはまるかの審査を行い、いずれの基準にもあてはまらない場合には、編曲として認めることとしている(山下邦夫「編曲と二次的著作物の成否」青山学院法学部「音楽と法:(社)日本レコード協会寄付講座1993年度」20頁)。ただし、実際には、公表後のアレンジについて編曲届けがなされることはもちろん、公表時編曲に関して届出がなされることも稀であり、公表されているアレンジの多くは、JASRAC等の音楽著作権管理事業者による管理の対象となっていないといえる。
[7] この点、元JASRAC職員であった市村直也弁護士も「音楽は、前述したとおり、他人の演奏行為という、もともと他人の手を借りて表現されることが予定されている著作物です。…このような性質を持っている音楽著作物が演奏される場合に、著作者はその楽器構成や演奏形式まで指定する権利を持っていると考えるべきか否か、編曲権は映画化権や変形権、翻訳権のような他の二次的著作物を作る権利とは若干異なる性質を持っているのではないかという疑問を持っています。」(市村直也「著作権法における音楽家の権利─作曲家・編曲家の著作権─」明治大学法科大学院知的財産と法リサーチセンター『JASRAC寄附講座講義録 ; 2004年度』280頁)と述べている。
[8] 最判平成13年6月28日民集55巻4号837頁
[9] 東京高判平成14年9月6日判タ1110号211頁
[10] 演奏者らがゼロベースで即興演奏をした場合には、理論的には、その演奏者らがその場で「音楽の著作物」たる表現を創作した上で、これを実演したものと解することとはなろう。
[11] なお、実演が同時に著作物として累積的に保護されることがあり得るかについては学説上争いがある(肯定説として、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会実演家著作隣接権センター(CPRA)編「実演家概論」282頁(駒田泰士)等があり、否定説として本山雅弘「温故知新─実演家の保護と著作権制度」日本労働研究雑誌549号66頁がある。)。なお、前掲・CPRA編「実演家概論」272頁(駒田泰士)によれば、フランス法においては、著作者が即興で実演する場合を除き累積保護は否定されているとのことである。
[12] 舞踊の著作物については、「身振りや動作といっても、実演に該当する演技そのものを指すわけではありません。演技の型であります。つまり、舞踊の型を示す舞譜とか、無言劇の演技の型を保護するということです」(加戸・逐条講義[七訂新版]127頁)とされている。
[13] 東京地判平成24年2月28日(平成20年(ワ)第9300号)は「社交ダンスの振り付けにおいて,既存のステップにはない新たなステップや身体の動きを取り入れることがあることは前記(1)アのとおりであるが,このような新しいステップや身体の動きは,既存のステップと組み合わされて社交ダンスの振り付け全体を構成する一部分となる短いものにとどまるということができる。このような短い身体の動き自体に著作物性を認め,特定の者にその独占を認めることは,本来自由であるべき人の身体の動きを過度に制約することになりかねず,妥当でない」としている。
[14] 前掲・東京地判平成24年2月28日
[15] この点、前掲・東京高判平成14年9月6日は、「甲曲は和声等を含む総合的な要素から成り立つ楽曲であるから、最終的には、これらの要素を含めた総合的な判断が必要となるというべきである」とした上で、甲曲の和声が簡単で素朴なものであったのに対し、乙曲においてきめ細やかな経過和音と分数コードを多用したことを、乙曲の創作性を基礎付ける事実の一つとして認定しているが、疑問である。
[16] 例えば、いくつかの音をオリジナルよりも高く歌唱したり、長く伸ばしたり、歌唱にあたってタメを作ったり、フルコーラスではなく、Aメロ等の繰り返し部分を省略したりすることなどが通常行われている。
[17] 前田=谷口・前掲125頁が「曲を演奏したり、歌唱したりする場合には、演奏者や歌手の解釈や工夫が加わりますが、著作権法は、その解釈や工夫を著作物の『創作』とみていません。そのかわり『準』創作的行為を行っていると評価して、『著作隣接権』実演家に認めています」とし、福井健策=二関辰郎「ライブ・エンターテインメントの著作権」171頁は、「プロならだれでも加えられる程度のごく技術的な、あるいは『定石』の範囲を出ないレベルの変更や展開を原曲に加えたとしても、それは『二次的著作物』とはいえません」とするのも、同趣旨と見ることができよう。
[18] ただし、例えば、加戸・逐条講義[七訂新版]183頁は、編曲に際して具体的旋律の変更を行うことは必然なので、「原作の本質に触れない細部にわたる問題については、…編曲…の技術上当然のことであり、また、そうしなければ、著作権としての…編曲権…を認めるに由ないことになりますから、同一性保持権の内容とはしないということです」として、アレンジ即同一性保持権侵害という不当な結果を導くことを回避しようとしている。
[19] 市村直也・前掲284頁は、「音楽著作物については、その著作物としての性質から見て、この『やむを得ないと認められる改変』の範囲は他の種類の著作物より広いと考えてもよいのではないかと考えているわけです」としている。
[20] 従前、「演奏・歌唱技術の未熟等」による場合に限って「やむを得ない改変」と認められてきた(加戸・逐条講義[七訂新版]187頁)。この見解に立つと、譜面通りに歌おうと思えば歌うことができるプロの歌手がライブ等で敢えてタメを作ったり、音程を変えて歌ったりする場合ですら「やむを得ない改変」にはあたらないということとなるように思われる。
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