享楽的であり続ける価値

 特定の都道府県内で行ってよい事業と行ってはならない事業とを、当該都道府県の知事が恣意的に決定する。職業選択の自由(憲法第22条)から派生した基本的人権の1つとして営業活動の自由が憲法上保障されると解されている日本において、こんなことがまかり通っているというのは不思議でなりません。
 もちろん、職業選択の自由がそうであるように、営業の自由も、公共の福祉による制約に服します。しかし、制約の目的が「公共の安全」すなわち公衆の安全を図ることになるのであれば、制約の範囲は、上記目的を果たすのに必要最小限のものに限られるはずです。新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐという目的のために営業の自由を制約するのであれば、それは、上記目的を果たすのに必要最小限の制約に限られるはずです。その場合、特定の種類の営業を一律に規制するというものにはなり得ず、営業の方法に関して、なるべく普遍的な基準を設定して、その基準を超えるものについて一定の規制をするという形をとることになるはずです。
 例えば、不特定人が同じものを触れないように工夫をする、不特定人が同じものを触れざるを得ない場合、それに触れた人が速やかに手を洗いまたはアルコール消毒をすることができるように工夫を凝らす、同居の家族以外の者が近接・対面して一定時間以上会話をしないように工夫を凝らす、客または従業員の息のかかるところに晒された飲食物を他の客等が飲食しないようにする等の制約を事業者に課すというのであれば、それは、公共の福祉に基づく営業の自由の制約という枠組みでその当否を論ずることができます。
 ところが、現実には、「不要不急か否か」という議論がまかり通っています。そのため、「不要不急ではない」とされたサービスについては、方法の如何を問わず、当該サービスを提供する事業自体の休止が求められてしまっています。しかし、これはおかしな話です。不要不急のサービスを業として提供する自由も、憲法上保障される「営業の自由」に含まれるからです。地方自治体の長から「取り急ぎ必要」とされたサービスのみ許されるというのでは、「営業の自由」など保障されていないのと一緒だからです。
 そして、この「取り急ぎ必要」なサービスの提供のみが例外的に許されるという考え方は、人々を楽しませるサービスの軽視に繋がりがちです。エンターテインメントは今日明日享受しなければ死んでしまうと言うものではありませんし、豪華なディナーとかも今日明日楽しまなければ死んでしまうと言うものでもないからです。しかし、私たちは、ただ生きながらえてさえいれば良いというものではなく、適度に人生を楽しみながら生きていくことを必要としています。私たちは、憲法第13条に規定されるように、それぞれ幸福を追求する権利を有しており、自分にとって楽しいことをする権利があるのです。したがって、人々を楽しませるサービスを提供することは、人々を生き延びさせるサービスを提供することと同様に、社会的な価値のあることなのです。
 サイバートラスト株式会社の崎山伸夫さんからは、「享楽的なこれまでの日常とそれを支える産業」という言い方で人々がエンターテインメントを享受すること及び人々にエンターテインメントを業として提供することがあたかも価値の低いものであると位置づけられ、今日本国内でエンターテインメント産業の存続を図ることが「やまゆり園事件の植松聖死刑囚の狂気とそんなに遠くない」との指摘を受けています。崎山さんには、エンターテインメント産業の存続を図ることが「高リスク群問題の最終的解決」を求めるもののように映っているようです(なお、「○○問題の最終解決」というのは、ナチスドイツの「ユダヤ人問題の最終的解決」にかけた言い回しで、「○○」に対して組織的に大量虐殺を行う計画のことを指します。)。
 このような評価が不当であることは言うまでもありません。私たちは、高齢者や基礎疾患を持っている「高リスク群」を大量虐殺したくてエンターテインメントを欲しているわけではないからです。私たちは、自己の幸福を追求するために一手段としてエンターテインメントを欲し、エンターテインメントに従事する人々は自分の優位性が人々を楽しませることにあるという思いから、業としてエンターテインメントを提供しているのです。私たちは、「高リスク群」の方々の安全・安心を守るためにその人生を捧げる義務を負わないし、自らの幸福追求を断念する義務を負わない。それだけの話です。「高リスク群」の方々の安全・安心を守るためだからといって、人生を楽しむことを断念しないと言うことと、「高リスク群」を組織的に大量虐殺しようと計画することとは全く別物なのです。
 「享楽的なこれまでの日常」をこれまでどおり楽しもうとすることは何一つ悪いことではありません。そして、「享楽的なこれまでの日常」を支えるサービスを提供することは、とても社会的に有意義なことです。そのことを再確認することが、今日の日本では求められています。さもないと、「享楽的なこれまでの日常」を支えるサービスについては、安易な一律規制をずっと続けていてもよいという風潮が定着しかねないからです。

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