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新生活は安心すべし

 新年度が始まった。俺は大学院に入学した。「新期」が始まったと言える身分になった。そうか、俺は学生になったんだ。なんだか感慨深い。
 バイト先には大学生が多くいる。ちょっと前まで、大学生はフリーターや社会人と雰囲気が違うと感じていた。なんというか、フワフワした感じがある。地に足をつけない、ということがその本分であるような身分。たった1年フリーターをやっただけだけれど、それでも学生特有の雰囲気は感じ取れるようになっていた。それを「外」から見ていたわけだが、「内」に入るのだ。身分が変わる。立場が変わる。
 「自分の立場が変わる」というのは、相対論的な視点の転換をすれば、「自分以外の環境が変わる」ということだ。環境がガラッと変わった。新生活。誰でも疲弊するだろうこの季節。どう乗り切るか。
 新しいことに晒され続けるこの時期をどう乗り切るか。こういう時に大事なのは「自分を維持しようとしない」「自分を維持できる空間を確保する」の相反する2本柱だ。
 「自分を維持しようとしない」というのはどういうことか。いままでの在り方、やり方を諦めるということである。環境が変わったんだから、「これまでどおり」では上手くいかない。環境に適応しなくてはならない。自分を守ろうとするとリキんでしまう。ガチガチになって上手くいかなくなる。「環境に流される」というのは、しばしば否定的に言われるが、俺はそれをむしろ肯定したい。もちろん手放しに肯定するわけじゃないけれど、あながち悪くないんじゃない?くらいのスタンスで。だってその方が円滑に進むでしょう。自意識やアイデンティティよりも、気持ちがラクである、というのを大事にした方がいい。
 他方で「自分を維持できる空間を確保する」というのは、いつも通りでいられるような場所を用意しておく必要があるということだ。人はそう簡単には変われない。「いつも通り」であることに安心する。安心できないと判断を誤る。たとえば、片想いなのか両思いなのか分からないような恋愛初期には、あとになって振り返って恥ずかしくなるような行動をしてしまうものである。誰でもそうだ。これは不安によるものである。家族でも恋人でも旧友でも、あるいは馴染みの店や趣味の時間でも、なんでもいいから安心できる場所を用意すべし。俺は日刊弁慶を書くことで安心している。

 この文章を読めば、俺が新生活で硬くなっていることが容易に分かる。端的に言って疲れている。今日はベッドで一日中寝てた。あー安心した。ギターを適当に弾いて、この後は絵でも描こうかな。日刊弁慶も書いたし。「継続は力なり」---手垢にまみれた格言だけれども、その意味するところは、「継続とは安心する空間だ」ということではないだろうか。安心できる場所を確保すること。それがどこでも柔軟に振る舞う鍵かもしれない。


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