11/26 日曜日
豆腐さんに誘ってもらって、演劇のワークショップに行った。五感を研ぎ澄ませて、言語的/非言語的な空気を読むレッスンだった(と思う)。五感を、とは書いたものの、実のところどういう感覚を使っていたのかは自分でもよくわからない。誰も何も言わない時にでもさえ、「空気が読める」ということが体感できた。他の人たちがどういう動きをしていて、自分が何に導かれているのか、言語の彼方で直観できた。普段は哲学を勉強して、言語でガチガチに固められているので、こういうふうに感覚を信頼するのは不思議な経験だった。他方で、言語を使って空気を読み合うワークもあったのだが、それは難なくこなせた。言語を非常に信頼しているのだろうか、あるいは、言語化できないものを禍々しく思っているのだろうか。どちらかといえば後者だと思う。非言語的なものは、どうも再現性がなさそうだし、他人がいる公共の場で見せるようなものじゃない。そういう風に考えていた。が、非言語的であってもなんとなく共有できちゃうものもあるし、いまほど徹底的に排除しなくてもいいのかもしれない。