11/7 火曜日
『死を与える』の終盤が意外と読めた。昨日の日記でも書いたが、気の持ちようの影響が大きい。読めると思えば読める——半分は根性論で、半分根性論抜きで。
Duolingoという語学学習アプリを始めた。勉強したい言語は山ほどある。ドイツ語、ラテン語、古典ギリシャ語、アラビア語、ヘブライ語、サンスクリット語、古典中国語(漢文)、タイ語、エトセトラ。が、真面目にやるほどの気力も体力も時間もないので、アプリで遊びでやるくらいがちょうど良い。これならベッドの上でも電車の中でもできる。スクリーンを見るのは確かに嫌いだけれども、最近はスクリーンを凝視する必要があまり生じないから大丈夫だ。これは自分で工夫しているということでもある。というのも、論文や発表原稿はすべて印刷しているし、レポートやコメント等の文章はまず手書きで初稿を書き上げる。いまや初手がPC作業なのは、この日記とポッドキャストの編集くらいだろうか。何度か日記でも書いているが、紙とペンが最強である。スクリーンに向き合うだけの体力が僕に無いだけかもしれないが、そうなのだとしたら、僕は自分の身体と上手く付き合えている。
話をDuolingoに戻す。日本語話者用のコースは5言語くらいしかないのだが、英語話者用のは数倍はある。幸い、僕は英語がある程度わかるから、英語でドイツ語、チェコ語、ラテン語を学ぶことにした。それぞれの言語にそれぞれの目標がある。ドイツ語——カフカやハイデガーを読みたい。チェコ語——パトチュカという、日本ではほぼ手付かずの重要な哲学者を読みたい。ラテン語——哲学の用語、あるいは西洋語一般にラテン語由来の語彙が多いから、触れてみたい。ドイツ語を中心的にやっているが、1時間くらいプレイしてもコーヒーとミルクの注文ばかりさせられているのが少し不満だ。とはいえ、文法の教科書を買って一人で机に向かうよりもはるかにハードルは低い。これでドイツ語がマスターできるとは思わないけれども、最終的に(修論を書き終えてから)体系的にドイツ語を学ぶ足掛かりとしては素晴らしい。飽きや疲労が来ないことを祈るばかりである。が、正直なところ、飽きたら飽きたで良い。