日記(2022/08/02)
有給休暇。渋谷へ。ジョン・フォード特集。一本目、エドワード・G・ロビンソン二人二役『俺は善人だ』。主人公がギャングと間違われて連行された先での事情聴取場面のテンポの良さは確かに見ていて楽しい。何より蓮っぱな感じのジーン・アーサーが良いことはさらに確かなのだが、しかし多くが室内の場面であるからか、画面そのものの面白さが感じられず。豊かな自然を背景としたロケーション作品にあるような曲線が少なく、都会的な建築の直線が画面の多数を占めている。さらに、その小気味良い画面の連鎖はジョン・フォードの大らかさとは異質なものに思える。『駅馬車』で酒類販売員をやっていたドナルド・ミークが懸賞金要求しまくり男性を演じているが、要求するときに小刻みに縦揺れする様子を見て不覚にもかわいいと思ってしまった。ここはベストアクトかもしれない。それにしても独身であるはずのエドワード・G・ロビンソンが左手の薬指に指輪をしていたように思うがどうしてなのか。
道玄坂のタイ料理店でグリーンカレー焼き飯。ジュンク堂で蓮實重彦×三宅唱対談を立ち読み。二本目『血涙の志士』。フォードのサイレントで一番面白い!この前『四人の息子』見たときにそう思ったが凌駕してきた。政治闘争に参加したことで祖国を追われ他国の軍隊に所属することになったヴィクター・マクラグレンが復讐のため帰郷する。『月の出の脱走』第3話の英雄と同じ人物をモデルにしてるのかな。正義のために犯した罪でお尋ね者となり軍隊に避難するという人物的背景は『リオ・グランデの砦』のベン・ジョンソンと通じる。ピーター・ボグダノヴィッチ絶賛の競馬シーン、確かに面白かった。煉瓦塀の破壊、水たまり落下による飛沫、馬たちの華麗な跳躍、それと対比するかのように荷馬車の驢馬もまた前足を上げるもそれは荷台に乗った御婦人たちの体重によって翻弄されているに過ぎないといった動物ユーモアなど、豊かな運動に充ちていて幸福な場面、そして巻き起こる悲劇、逆恨み的発砲によって射殺される優勝馬……この一連が絶品。運動に次ぐ運動のあとに訪れる暴力的な静止、事態を飲み込めぬ群衆が一瞬の沈黙に陥ったあと、射殺犯を発見したことを契機に巻き起こる集団的な怒りと暴動、と繋がって画面は再び動の様相を呈する。先に見た『俺は善人だ』の、編集によって生み出されるテンポの良さとは異なる、画面そのものによるテンポの良さ。映画のテンポの良さを言うとき、こちらを圧倒的に支持したい。屋敷が燃え上がるラストシーンで火柱が一瞬巨大になるときの興奮は『周遊する蒸気船』に匹敵する。そしてこれまたベストドッグが登場している!めちゃくちゃデカい。『ジョン・フォード論』で言ってた気がする、立つとフォードと同じくらいの背丈の犬ってこの犬のことかな。
三本目『モガンボ』。上映前に蓮實重彦の舞台挨拶。「私の『ショットとは何か』という映画ですが…いえ、映画ではございませんね、書物ですが…」という言い間違えがあってグッときた。アフリカを舞台にした猛獣捕獲映画でありながらその本質は僻地不倫映画かつ四角関係ものという異色作。グレース・ケリーがクラーク・ゲーブルに惹かれていることを察した夫のドナルド・シンデンが放つ「僕はまだ君のもの?」。ヘラヘラして何も事情知らないと思われていたはずの夫が唐突にど直球で言うからビビる。登場人物の誰一人として馬鹿に写るように撮っていないのがフォードの誠実。個人的白眉はゴリラ研究者のその夫が妻のグレース・ケリーと共にゴリラの音声を録音するシーン。グレース・ケリーはクラーク・ゲーブルの傍らにいてマイクを持つ。それを夫がヘッドフォンで聴くというところはやはり心の動揺を覚えざるをえない。夫が放った先のあの台詞を聞いた身からすると、妻の心の声を聴こうとしているように見えてしまう。しかしそれはまたゴリラという不可解な生物を介しての、あくまでも研究行為の一環のうちにある行動であることによってシニカルな風貌も帯びることになっていて、見る者の感じ方を複雑にする。夫はまたその次の場面で妻をわざわざ振り向かせて、ゴリラを撮る用のそのカメラで妻の姿を写真におさめる……。作品の一筋縄ではいかなさ、ロケーションと題材の闇鍋感も含めて個人的フォード偏愛作品かもしれない!動物がたくさん出てくるのもポイント高い。日本版のポスターだとゴリラが黒幕っぽくなってて面白いんよな。