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現実ってやつはいつも立ち尽くす

余裕のある人は安穏と解析なり分析をすれば良いけど、「明日食べるものもない」「将来が絶望」「このままでは生きていけないかも」と不安に思う人達にとっては、サービス業務等の人と接触しない・出来ない事は死活問題で、そんな現実を目の前ににしては、ただ黙って立ち尽くすしかないなのです。

現実とは、常にその人にとって(自分にとって)で、他人には痛みすら感じないのだから理解もされない。他人は「大変ですね」と軽く(優しく)言えるが、実際のところはなんにもしないし、その人になり代わる事もないし、する事も出来るわけもない。

人には現象、事故、世情と共通の災難があったとしても、個人の受ける現実は実に様々だという事だ。

自分はわかったような事を言う人が好きではない。

ほっといてくれ!

人の優しさや好意を無視してはいけない!とお叱りを受けそうですが、言ってどうなる?と言う事は多々ある。大昔、風邪で熱が出て薬飲んで魘されてる時に、家に遊びに来てた兄の彼女が自分の部屋に一応のノックをして、「大丈夫?」と声を掛けてくれた←(一応の感謝?)

ヾノ・ω・`)イヤイヤ

大丈夫じゃない!

だから、ほっといてくれ!なのです。寝かしてくれ!他人に部屋まで入って来られて異性だし寝れやしない。この兄の彼女は本当に思いやりという行為を知ってるのだろうか?と若い時の自分は疑った。

コロナにしろ、震災にしろ、世界的被害にしろ、個人的事故や災難にしろ、「あ〜あ、やっちまったな!」の自業自得にしろ、二次災害にしろ!

その人にとっての逃れようのない現実があって、他人が声を掛ける事や微力な助けがあったとしても、その人の現実はその人だけのものであって、その人の成り行きや克服や努力や頑張りは、寂しいでしょうけど非情でしょうけど、他人が理解する事は難しいし、成り代わってあげる事も出来ないのですよ。他者に対して領分違いな優しさという干渉は、時に悪意ある誹謗中傷よりタチが悪いと思っています。

「あなたの為を思って」

???どこから?そんなセリフが出てくるのか?不思議でしょうがないと思ってます。

じゃ、一緒に暮らす?一緒に抱えてる問題解決する?借金負う?同じ病気になる?同じ立場になる?同じ環境になる?同じ痛みや心境を共有する?

不可能なのです。無理なのです。

余計なお世話

や、お節介する人は優しいのかも知れませんけど、大概、自分は安全な立場違いで物を言います。さも、わかったような事を言って自分に酔いやすい人も多いのです。

心狭いな!寛容でいろよ!言葉くらい受け取ってもいいじゃん!それが人の優しさだろ?流せよ!
とお叱りを受けそうですけど。

ヾノ・ω・`)イヤイヤ

出来る範囲の優しさや気遣いなら、理解出来るけど、自分いい事言った!の類いの人達は、本当に他人事だと思っていますし、自分の株あげたいだけじゃん?って思ってしまいますし、その方の現実は、いつも軽く済ませたのね?割と楽な人生歩んじゃったのね?と疑いたくなります。

現実ってやつは容赦なくいつも立ち尽くす

いつどうなるか?わかりませんよ?自分も誰もが...とも思うのです。

重くも軽くもあるけど

おしまい

((。´・ω・)。´_ _))ペコリン

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ベンジャミン・サンタマリア
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