大嫌いって、実はとっても重要だった。
中学の頃、数学がすごく嫌いだった。本や物語は好きだったので、国語は
勉強した記憶があまりなかったが、成績はいいほうだったとおもう。
しかし。数学がとにかくきらいで、あまり、勉強しなかった。もういい年なのに。いまだに数学の宿題の答えを順番に言わされていって、自分の前のヤツ辺りで目が覚める。そんな夢にうなされたり(笑い)なんかする。
ソレぐらい、数学がきらいだった。公式に当てはめると答えが出るのは
わかるが、ソレがいったいどうしてなのか、誰も説明してくれない。
理屈が飲み込めないと、納得がいかず、ソレより先に進めない、とんでもなく意固地なヤツだったのだ。
そんな自分に受験の季節がやってきた。
パラダイムシフトが起こったのはソレからだった。
自分の成績を心配した親は、当時有名M大学に通っていた知り合いの大学生にカテキョを頼んだのだ。
Tにいちゃん。自分は大学生のカテキョをそうよんでいた。
実は彼は、オヤジが監督をしていた、少年野球のチームの元一員。
そんなつてで、自分のカテキョをバイトで引き受けてくれたというわけだ。
このTにいちゃん。家に来ると、自分にいくつかの指示を与えたあとはいつも、自分の部屋にあった漫画を読んでいるだけ。漫画家を目指していた自分の部屋には膨大な量の漫画本があった。Tにいちゃん
家にやってくる日は漫画を読むのが楽しみ、という感じですごしていた。
そして、帰りがけには、「これ、とこれ。借りていったいい?」と何冊かの漫画本を持っていく。
当時、自分は「漫画よんで数時間すごし、金もらえるなんてなんていいバイトなんだ」とうらやましい気持ちもあったとおもう。
しかし、それから一年ほどで、自分の偏差値が急速に上がり、志望校に合格できるなどとは、このときは信じていなかったんだと思う。
自分がその後の一年間で、このカテキョのTにいちゃん教わったことは
「頭のいいヤツの考え方」
だったような気がする。実際には、例えばこんなこと
まさにこんな視点が大切なのだと、関心してしまったので、リンクを張っておきます。
上の動画がなぜすごいのか。成績の振るわなかった自分が、このような動画に興味を持つきっかけをくれたのはTにいちゃん。
空に投げ上げたボールを、手のひらで受け取る こんな単純な作業をいとも簡単に私たちの脳はこなしている。しかしこれを行うには、膨大なデータをセンサーでスキャンし分析して、ボールの落下地点を、空気抵抗を加味しつつ、予測しているんだってことに、みんな気づいていない。
同じ作業を繰り返せば、それは難しくなくなる。脳だっておんなじ。
我々の脳は、最初からよく出来ているんだ。
視点を変えてみること。情報を集めること。戦術を立て弱点を明確にして慣れてしまうこと。 これらの分析にはすべて数学の公式が当てはなる。
しかし、自分は意固地な性格だったため、公式に当てはめることで
「なぜ答えが出るのか」が分からないと先に進めないという厄介な
性格だった。
頭の柔らかい、低年齢のうちに、みんなが素敵な先輩や優れた指導者に出会えるといいね。そうすれば、誰にでも無限の知識への扉が開かれているんだと思う。
問題を効率よく解決する能力を養うには数学を学ぶと良い。とよく言われるが、自分も昔はその言葉の意味が分からずに、数学が大きらいだった。
Tにいちゃんに出会ったことで、自分の考え方はずいぶん影響を受け変化した。大嫌いだった数学は大好きっとまではいかないが、中好きぐらいにはなったとおもう。自分の中で起こった大きなパラダイム・シフト。
今思えば、自分にそれを起こしてくれたのが当時まだ、たったの20代だった青年のTにいちゃんだったことも驚きだ!
ぶっ飛んだ素敵な先生や先輩がいっぱい増えて、学習するってエキサイティングで楽しいんだってことが、当たり前になるといいな。
Tにいちゃんは、当時の意固地な自分にこういったんだ。
「先人たちが苦労して、発見してくれた簡単に答えがでる方法、使っちゃおうぜ!」って。
それからこんなこともいった。
「この問題は、論理的には、この方法でしか問題つくれない。だから、同じ型の問題をたくさんやって、なれてしまえば簡単だよ。後は計算 間違わなければ楽勝!」
「問題の全体をまず見渡して、得点配分の大きい方から、解いて行けばいい」
「出題者には学力を測る意図があるわけだ、だからその意図を逆手にとって考えるクセをつければいいんじゃない」「問題にはそんなストーリーみたいな流れがあるんだ」
「くる攻撃を予測して、対処する方法を考えようぜ」ってなことをいっていた。
生活するなかで、何かの問題に直面した時、こういう考え方はきっと役に立つと思う。
すべては、ゲームのような数学的な考え方だったわけだ。