どこに参与するか。
さっそく昨日、帰宅後に新しい土鍋でご飯を炊いた。炊飯に特化した形で、今まで使っていた土鍋より早く米が炊ける。蓋が重めに作られていて、吹きこぼれすぎないようにされていたり、丸い形がお米への過熱が均等にいくようにされていたり色々考えて作られているんだな。かといって、便利なこちらばかりを使うことにはならない。それを使うだけでワクワクするようなキムホノさんの土鍋も私には欠かせない。しかし、この間タイマーを導入した時にも思ったけれど、やっぱり専用に作られたものというのは良い。生活のすべてにそれ専用を用意するのは好まないけれど、必要に応じて、または暮らし方の変化に応じて足したり引いたりすることは暮らしの幸福度につながっている。
今、昼を過ぎたところ。猫は完全に押し入れに恋しているような気がする。何とか側にいて欲しい人間、電気毛布をマットレスの上に敷いて猫を置いてみたけれど、目を見開いて「違う」という顔で私を見る。いちおう腰を落ち着けていたのも束の間、恋しそうに押し入れを見るまなざしに、押し入れに着けてあるカーテンを開けたらすぐさま飛び乗った。そこから2時間近く寝続けている。幸せそう。私と言えば、明日のワークショップの準備を終えたところで、今から出かける場所があるのだけれど、もう少し猫の寝顔を見ていたい気持ち。あと一時間、二時間、作業をしていようかとも思う。こうやって、自分で色々の順番を決められるのも幸せ。
今年のはじめに仕込んだ味噌も、私の暮らしを支えてくれている。今まで味噌はスーパーで買うものだった。夏の終わりに自分で仕込んだ味噌を使い始めてから、味噌の使用頻度は増えた。
最近気づいたことがある。私は、自分が参与している部分が増えると、そのことに愛着を持つ。当然と言えば当然なのだけれど、土鍋も、猫も、味噌も、自らが手を加えることでその対象にも変化をもたらすもの、そういうものに愛着がある。珈琲豆もユジンが焙煎しているものだし、最近買い足している服は、自分はたまに働かせているところで作っているものだ。自分が関わっているものごとに関心が強くなるのは社会や政治の事でも同じだ。どこに参与するのかは、どう働くか、暮らすか、生きるかに繋がる。それからどのくらい参与するかも重要。そういうことを考えていたらもうすぐ15時。そろそろ出かけます。
雨が降りそうな曇天の午後。
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