朝方、猫に起こされる(猫は人間を起こしたのちに寝る)。
予期せぬ方向ではないけれど、世界が行って欲しくない方向にふれた昨日。もう頭がぐちゃぐちゃであるが、考えることと、行動できることを探すことは止めないでおく(宣言)。
つい2時間ほど前、5時台に猫に起こされた。ご飯を催促して、今は満足して押し入れで気持ちよさそうに寝ている。私はもうあと一時間くらい寝たかったのに、その旨猫にも伝えたのに、そうはいかなかった。仕方あるまい。押し入れに飛び乗った後、ルーティンのようにおいてある毛布にフミフミして猫ベイビーになったのちに満足げに丸くなって寝る。前の冬もこの毛布に夢中になっていて、ある時洗濯をしたら匂いがとれてしまったのか、その日からしばらくは毛布への関心を失くしていた。あの時の「なんで洗ったんや…」と言わんばかりの表情が忘れられない(かわいかった)。この冬はどうだろう。というか、この毛布は人間のものなので洗わないわけにもいかないのだよ。しかしその言い分も通用しないのが猫。人間で他者に慮りがない人には怒りが湧くのに、猫の慮りのなさには愛おしさが湧く。何なんだ、この違い。猫の可愛さが圧倒的ってことなのか。怒りが湧かない可愛さ。恐ろしい。
岸政彦さんの「にがにが日記」を読み終えた。岸さんの文章が好きで、Podcastも聞いている。本の中に「人生スムーズにいっている人なんていないんじゃないか。けど猫は人生も毛並みもスムーズ」というようなことが書かれていて、まさしく!と思って手帳にメモをした。まことに羨ましいである。私は自分の人生をスムーズと思ったことはない。色んなことに引っかかりまくって、引っかからずに暮らしていたら会社でキャリアなど積んで、安定した収入も得られていて、結婚などして子供も設けて計画的な人生設計が出来ていたのかもしれないと思うことがある。けどまぁ後悔はないし、今の暮らしで正解だと思っているしこの暮らしが愛おしい。これからも引っかかりまくっていきたいと思っている所存だし、他人の人生を羨ましいと思ったこともない。けど、猫のことは羨ましい。猫への憧れは止まらない。
そういえば、あまり他の人間に憧れたことがない人生かもしれない。学生の時にはあったかもしれないけれど、思い出せない程度の事。誰かが持っているものを、自分が持っていない(それは「物」に限らず)ことに気づいて、「何で自分はみんなが手にしているものを持っていないんだろう」と考え込むことはあっても、じゃあそれが欲しいのか?と問うて「いや、そうでもないかも」と思いなおす。だからあまり人のことを羨むこともない。個人で刺繍屋をしていて、売れている人のことをもっと羨む気持ちが湧くかと思っていたけれど、あまりそうならない。フリーランスで働いて行こうと思っているという話を、畑は違うけれど同じく個人で仕事をしている人にした時に、話の流れで「比べるもんじゃないよ」という言葉をもらったことを時折思い出している。その人も、そう思って仕事をしているらしい。実際やってみて、本当にそう思う。同じジャンルで作品を作っていても、その「個」の奥行きはそれぞれ違う。結局はその「人」なんだろうな、なんてことを最近よく思う。何をするにしても、「人」に「人」がついてくる。仕事もそれ以外も。先日、とあるお店の企画展への参加が決まったこともあって、よりそんなことを思う。だれかれ構わず、ではなく、自分の心が動くことをしたり、そういう場所に向かいたい。動くと待つのバランスも大切。
こうやって、本や人からもらった言葉を収集している。ピンときた言葉は忘れられない。毎日思い出すというよりかは、いつもストックしてあって、必要な時に出してくる。仕事を転職しまくらずに、一個の会社でキャリア形成してお金を貯める以上の価値がこの言葉たちにはあると思っている。昨日得たのは「猫は人生も毛並みもスムーズ」、今日思い出したのは「比べるもんじゃない」という言葉。どっちも大切。ちなみに昨日は砂鉄さんの新刊「テレビ磁石」も読み終えた。あとがきにあった「レトロかわいい一冊」もパンチライン。身にはならない言葉だけれど、砂鉄さんのシニカルでユーモアのある表現は、私にとって心の栄養なので、こちらも手帳に書き留めさせていただいた。
意図せず早起きとなったけれど、猫のおかげでまたこうして色々と今の自分を記録できた。猫はやっぱり偉大。