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ユリイカきた。

 今日から妹とその子供二人がしばらく実家に滞在する。夏休み。普段生活していて、自分は割と体力がある方だと思っているけど、7歳児と4歳児の相手をすると毎度くたくたになる。今回はどうだろうか。二人に私は自分のことを”よーこ”と名前で呼ばせているので、小さい頃は”何かよくわからない母親と同じくらいの年齢の変わった大人”と認識していたようだけれど、最近はは自分の母親が私のことを「おねえちゃん」と呼んでいるのを聞いて「よーこっておかあさんのおねえちゃんなの?」と気づいた模様。7歳の甥っ子が小学生になった時、もう私に構ってくれるのもあとわずかかもしれないと思っていたけれど、まだその気配はない。とにかく楽しみ。今これをお迎えに行く新幹線の中で書いている。最寄り駅まで迎えに行って、車で実家まで帰る。サービス業の時は週末にこんなことできなかった。フリーランス最高。

 昨日のつづき。友達と話したことの中に、Podcast”OVER THE SUN"の運動会の話になった。友達はSNSにあげられている2分ほどに集約された動画をみて、「いい大人でもはしゃいでいいんだ。」と思い、自分がはしゃぐことをちょっと恥じていたことに気づいたと言っていた(たぶんそんなニュアンスだったと思う。違ったらごめん)。それを聞いて、私もそんな時期あったなー、けどもう越えたかもー、と返したのだけれど、一日くらい経って別角度から見たらつい最近まで残っていたことに気づいた。これが昨日の私のユリイカ。そういえば、数か月前まで私は年齢のことをよく考えてた。友達が持ち出してくれた話題で、それが気にならなくなっていることに昨日気づいた。

 こういうこと、頭ではわかっていて、例えば「やりたいことを始めるのに年齢なんて関係ない」とか「周りの目なんて気にしなくていい」とかいうこと。分かっていても、いざ飛び込んでみると「私なんかがこんなところに居ていいものか」「私なぞといて楽しいのか」「わたくしめなんて」と思ってしまう。人には言わないのに自分には「いい大人が」「いい歳して」を向けてしまう。ものすごく無意識にやっていた。好きなこと、楽しくなることをしたいだけなのにこれは辛い。
 考えてみると、これは私が私のような大人を見てこなかったことが関係していそう。例えば両親が何かのエンターテイメントに心躍っているところを見たことがあまりない。30歳前後で皆パタパタと結婚していった同級生たちも同様。気づいたら同世代の友人はほぼ皆無。自分だけいい歳して子供みたいなことを楽しむ習性があるような気がしている。ほぼ無意識に自分をおかしな存在にしていたかもしれない。そうすることで世間一般から自分を切り離していた。「自分はちょっとよくあるレールから外れているので、普通とかそういう物差しで見ないでください。」という態度を取ることで、もし「あの人いい大人なのにはしゃいでる」と思われても大丈夫なように保険をかけていたところがある。そして言うほど自分はおかしな存在でも、目立つ存在でもないし、特別ではない。症例が見当たらなかっただけだ。

 それがここ一年くらいでどうでもよくなった。徐々にどうでもよくなっていたようで、気づいたらなくなっていた。この変化はまた細かく記録しておきたいです。

 もうすぐ新大阪。続けると決めたnote、甥っ子姪っ子たちとの数週間の間も続けていくのは、なかなかの困難を極めそうだけど、全力で彼らと遊びつつ、ちゃんと続けることをここに宣言しておきます。

こちらが元ネタとなった動画です。

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