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自分のためのモラトリアム期間②
梅雨で言うことを聞かない髪の毛に、数日前ストレートパーマをお見舞いしました。湿気との格闘としばしお別れです。毎日ストレートアイロンをかける時間が浮く。それが嬉しい。
写真家の植本一子さんの文章が好きで、去年「愛は時間がかかる」を読んでから、植本さんの本のほとんどを読んだ。何で好きなのかがなかなかに説明が難しいのだけれど、その一つに彼女の生活が見えること、周りにいる人の人間性が見えることだと思う。それに暮らしのあれこれが載ってくる。その書き連なりがなんとも言えず、好き。
私も自分の周りの人を実名や、ある程度特定できるような感じで暮らしを書いてみたい欲があるのだけれど、一部の人を除いてなかなかに秘密主義なところもあるので出来ないだろう。自分を知られすぎるのに抵抗がある。
とにかく、人間の生活がみえるような文章がとても好きなんです。
仕事を離れたのが昨年末のことなので、もう6か月以上自由気ままに暮らしているけれど、モラトリアム期間と感じるのは5月後半くらいから。人に会ったのも数えるほどで、ずっと自分といっしょにいる。あと猫。
これがものすごく良い。5月前半までは、少なくとも週に一度は誰かと会って、会話をすることをしていたように思う。けど、それもしなくなって話すのはものすごく限られた人たち。
今の私は、自分が心地の良い相手とだけ会いたいと思っている。それ以外はもう少しの間だけ、お金になるならない関わらず、自分の思うように時間を使ってみたい。お金に余裕があると思われそうだけど、そうではないし、そういうことを言っているのではない。
何の本か忘れてしまったから探そうと思っているのだけど、文化人類学の本の中で、公私が日本と逆の地域の話が書かれていた。日本は仕事が「公」、それ以外が「私」。その地域では仕事が「私」でそれ以外が「公」なのだという。私はこれを自分の中だけで実行できないかなと思っている。お金をもらうことが「私」で、それ以外が「公」という暮らし。
それがいいな。お金をもらうことは私用。暮らしていけるだけ稼げばいい。将来とか、老後のことに引っ張られて、今の自分を縛るのだけはやめたい。あ、「それじゃあいつか困るよ」っていう意見は受け付けません。
今、限られた人とだけ会うようになって、どうなったかと言うと、幸福度が増した。より穏やかになった。この状態で人にたまに会うと、相手が自分にとってどうなのか、相手が自分をどう見ているのかがわりとよくわかるような気がする。
自分のこともよくわかるようになった。もっと自分のことをわかりたいと思っていて、そのためにしたいことがまだある。
明日はそのやりたいことをまとめてみることにする!