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ある程度のわかりやすさが必要なのは分かるんだけど。

 今日は朝から長い時間雨だった。昼に出かける用があって、雨の中車に乗り込む。まだ少し湿気が残る雰囲気で、クーラーなしだと車内が少し蒸す。出かけた先で友人や顔の知った人と少しの会話。誰かに会う予定を最低限しか入れない生活でも大丈夫なのは、こういう瞬間が日常にあるからだ。その会話の中で、なるべく分かりやすくしたくないという話になった。
 
 個人で仕事をし始めて半年、それ一本ではないので外でも働きつつ、最近この仕事をどういう風にこれから展開していくかという事をようやく考え始めた。その時にいつも立ち上がってくるのが、「この仕事を知ってもらわないと暮らしとのバランスが悪くなるけど、だれかれ構わず知られたいわけではない。なるべく見つかりたくない。」という気持ち。これでよく個人事業主になったと思う。友人も少しニュアンスは違うけれど、近いことを考えていて、どうしたものかという話になった。

 分かりやすいものに飛びつける質だったら、もう少し楽だっただろうと思う。けど嫌なのだ。分かりやすく自分のことを提示して、「それいい!」と言われるのが苦手というか。そうして褒め合っている人を見ると、なぜかものすごく恥ずかしくなってしまうのだ。何て気難しくて面倒くさいんだろうと、我ながら思う。しかもそれで今ごにょごにょ考え込んでいて、その時間がもったいないと思っているのだ。なんていうか、分かりやすい方面に向かえば、もう少し早いスピードで、仕事を展開していけるんじゃないかと思ってしまうのだ。けどそうは出来ないし、やりたくない。こういう事を言うと、「やってみないと分からないよ、やってみようよ」などいう人が出てきそうなのだけれど、あいにくそういう人とは仲良くなれそうにない。(しかしそれは仮想敵のような感じで、幸い今暮らしの中で顔を合わせる人たちはそういうことを言ってこない。)

 なんで仮想敵を作ってしまうのかと考えてみたら、明らかにSNSの影響だ。SNSなんて、分かりやすさを重視した方がフォロワーが増えるような場所だ。あの場所で、自己開示できている人たちをみて、気後れしているんだと思う。「見なきゃいい」はSNSの特徴としてかなり難しい。頻度は減らしているけれど、仕事でも使うから一日数回開く。なんか本当に面倒くさい。
 この羨ましいとはまた違う感情は何なんだ、と考え始めると良くない方向性に行くのは何となく分かるので、私は私のやりたい方を向こうというところに落ち着く。
 この、「そっち側には行きたくないけれど、ちょいちょい気になる」という現象に名前が付いたらもう少しすっきりするのかもしれないな。

 色々書いたけれど、別に落ち込んでいるとかいうことはないです。明日も時間を大切に使うことだけは決まっています。

 

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