私なりのプール理論⑥
最近、猫がものすごく話しかけてくる。ずいぶん仲良くなったなと思う。 今朝は人間が使っているマットレスで寝たい旨を、それをちょいちょいしながら私を見てうにゃうにゃと話しかけてきた。何とかわいい。人間大多数よりも、動物の言っていることの方がわかるかもしれない。
<昨日話したこと覚書(たくさん)>
・もうその人の気持ちがわからない環境
・大手で働いたからこそわかったこと
・言語化できないこと
・「私と居たら楽しいよ」と「私なんて」が混在
・おそらくこれからも交わらない人との会話
・自己責任論と若さの相性の良さ(自分にもそういう時期あった)
・断言の怖さ、群集心理
・組織で成功した男の人のプライド
・世間話と社会話
・違うまま同じところにいたい
話した内容を書き留めておきたい相手との会話は、いつも同じところをぐるぐるとする。ありがたいことにそういう話が出来る人が周りにいるし、そういう人としか最近会ってない世の人はだいたいそういう話をしているものだと錯覚しがちだけれど、たまに出会う、そうではない、というか対極とも思えるような人との会話で、自分は自分がしたい話ができる相手に恵まれているということに気づく。昨日もそんな日だった。あと、自分の当たり前と他者の当たり前があまりにも乖離している場面に久しぶりに遭遇した。
今日は、自分用のメモ書きも兼ねて。といってもいつもそうだけれど。新しい環境に向かう時(先週立てた仮説をもとに)プールの枠を保持しながらその場所や関係性に馴染んでいきたいと思っている話。 仕事もそれ以外も。
昨日話したことの中にもある「私なんて」がまだ自分の中にある件。もう、ずっとある。ふり返れば、家族以外に対して、自分よりうまく立ち回る妹を持ったと自覚した時からあると思う。比べるもんじゃないとわかっていても、無意識に比べる習慣がある。けど、これこそがプールの枠を失くしてしまう原因だったような気がしてきた。
・私なんて、大したことないという意識。
・大したことないから、多少の無理は必要。
・無理をする=自分の感情を無視する。他者に合わせる。
・自分の欲が分からなくなる。
・何か行動をする時、自分の欲望ベースではなく他者に合わせてしまう。
・結果、他者のプールで泳いで失敗。
ざっとプールの枠は崩壊するメカニズムはこんな感じだろう。
これを気を付けていれば、どんな自分であろうとプールの枠は失わずにいられる気がする。今までの癖で出てしまうことはあるだろうけど、早めの段階で気づけそうな気もしている。逆に、気を付けていないと他者のプールサイドに居たなんてことにもなりかねないから自分のことを注視していこう。
さっきも車の運転中に「自分を満たすのが先」「私が独立独歩がいい」ということを考えていた。独立独歩という言葉の意味を調べると”他人の力を借りずに自分の力を信じて進む”のようなことが出てくるけれど、私の場合のそれとはちょっと違って、他人の言葉に耳を傾けながら自分で決めることをしていきたいなと思う。
この内容、もう少し書きたいから続きはまた明日。