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猫の頭突き。

 猫がうらやましい。猫になりたい。日々思っている。少し前にも人とそういう話になったけど、彼らはいつも、自分の利益を最優先しているように見える。それでいて、わがままとは言われずにむしろかわいいと褒めそやされているのだから。昔からこうなりたいという人間はあまりいないのだけれど、猫にはなりたい。見習うところばかりだ。

 例えばご飯を貰う時に、お皿を持つ私の腕にものすごい勢いで頭突きをしてくる。腕はぶれて皿から液状のごはんが零れる。ごはんを液状のものにしているのは、猫が水をあまり飲まないからだ。ということは、そもそも水を飲んでくれていたら、ご飯が零れることもなかった。だからご飯が零れたのは猫のせいだ。

 なんだろう。これ、人間に置き換えたら「どうしてご飯持っているのに頭突きしてくるの!あんたが水飲まないからヒタヒタのご飯にしているのに!そもそも水飲んでくれたらこんなことにならないのに!」と八つ当たりしてしまいそうになるけど、そうならない。羨ましい。

 もちろん、猫の見た目がかわいいから許してしまうというのはある。けど、同じかわいいで言えば、子供だってそうだ。何が違うんだろう。
 子供はいつか自立する。猫は自立しなくていい。それもある。自立しなくていいことが確定しているのから、人間側も無限にお世話するし、猫も全力でそれにもたれかかることが出来る。そもそももたれているという自覚すらなくナチュラルにそれをしている。うらやましい。
 人間には打算があるのかもしれない。見返りを求めたり、他者に期待をしたり。猫にはそれがない。ご飯がただ欲しいのでねだる。もらえない場合は不満を表現する。その場その場の判断だ。もし貰えなかったらどうしようなんて想定もしていない。貰えるものだと断定して欲望を表現する。

 それかもしれない。人間は、つい自分の望みに対して、「叶わなかった時」を想定しているかもしれない。結果そうなることはあるかもしれないけれど、私たちはつい望みを口にする前に、「もし叶わなかったらどうしよう」を考えすぎているのではないか。
 猫は望みを「叶う」と信じていて、人間は「叶わない」を想像しすぎている(ここで言う”人間”は、私自身を想定しています)。
 だから羨ましいのかもしれない。

 猫に頭突きされまくる日々から、飛躍しすぎたかもしれない。けど、猫と一緒に居てまったくしんどくないのはこれが理由かもしれない。いつもその姿を尊敬しているけど、これからはもっと敬意を払って接していこうと思います。
 
 猫、いつもありがとう。


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