ドラマ PICUを見て。 へっぽこNsの、取るに足らない無力感
家族に勧められて、ドラマ「PICU 小児集中治療室」第一話を視聴。
ドラマと現場は違うということは前提で。
思っていたよりずっと考えさせられる内容で、
とてもとても面白かったので、感想。
PICUに搬送されてきた鏡花ちゃんが亡くなって、
志子田先生がカンファで泣いて、
「人が1人亡くなったのに、どうして」
って感情的になって、
その周囲の人達の反応とかも、
ドラマ向けに誇張というかわかりやすく空気感が表現されていても、
なんていうか、共感というのか、
経験がまだ浅いスタッフが素直に泣いたり感情を表現している姿を見て、
一緒になって泣きたい気持ちと、
患者の死とか、急変とか、残念な結果っていうのかな、そういう経験にある程度慣れてきた自分を自覚して、なんとも言えないもやっとした感情があったりとか、素直な人を見て羨ましくも感じたりとか、
でも多分冷静にカンファで話し合いをしている人としては、ちょっと冷めた目で見てしまう部分もあったりしそうだなとか。
患者の急変があって、
その場でその時の自分達に精一杯のことを行なったとしても
絶対何かしら反省点というか改善点あるし、
結果として“だめだった”時、
だめでなかったとしても自分は役に立ったかと言われると自信を持てないような
あの無力感というか、
志子田先生の
「こんなに自分が馬鹿だって思ったのも、嫌いになったのも」
「何もできないのに」
その言葉で、今の自分とリンクして、また泣いてしまった
私は知識も経験も未熟だから、
志子田先生に凄く共感した
何もできない自分に対する嫌悪と
緊急事に冷静に動けてその経験を分析したり次につながるよう行動できる先輩方の頼もしさとか凄さとか
それで自分も頑張らないとっていう気持ちと、数年後の自分を考えた時に、先輩方と比較して余計に自分の至らなさにがっかりすることとか
志子田先生を羨ましいと思う
私は最近急変に当たることが多くて
その度に自分のできなさとか、無力感と自己嫌悪でいっぱいで
あの患者さんはその後どうなったかなって
カルテ追ったりするけど
でも結局自分のことでいっぱいいっぱいで
自分のことしか見れてなくて
私やっぱ医療職向いてないなって思う
それでも、この仕事好きでやってるんだな自分って思う
向いてないと思うけどそれでも
私は、仕事がしんどいなって思った時に
いつも見るものがあって
以前病棟で働いていた時に患者さんに頂いた投書だったり
後輩からもらった手紙だったり
感謝の言葉をもらうと
なぜだかどうしてか自分に力とか勇気が湧いてきて
泣きながらも必死に日々食らいついて
体調崩したその職種でまた働きたいと、医療の現場に戻ってきたのだけど
私は本当に自虐思考があると思うよ、
看護師って気が強い人が多いから、私のようないじめられっ子体質の人間は特に救急とか手術部とか看護師の中でも更に気が強い人たちの集まりみたいな場所では生きづらいよ
でもなんだかんだ言って私も表面はやわやわでほにゃほにゃだけど気が強いというか、信念があるというか自我というか正義感が強いから、
偽善だとしても、やらないよりやった方がいいと思うから、
当事者にならずに愚痴や文句だけ言うのなんて誰にでもできるさ
ゴミをポイ捨てする人に注意する人はいるけど、ゴミを拾う人は少ないみたいに
私はゴミを拾える人間でありたいと思う
医療従事者は足りてない。
私の住む働く県は他と比較しても看護師の数が少ないらしい。
私が医療従事者に向いてない人間だとしても
医療現場において使えない部類の人間であっても
一般人よりはまだ知識も経験もあって動くことができると思うから
しんどいよ
こわいよ
つらいよ
私は沢山弱音を吐きながらも
これからも看護師を続けていくんだろうなと思う
親愛なる、尊敬する同志達へ
つらくなったら休んでください
患者さんの前で無理に笑っているあなたも
悲しい時は泣いたらいいし
無理難題を押し付けられたら怒っていいし
見ず知らずの患者のためにあなた自身を犠牲にする必要はないと私は思います
それでも見ず知らずの患者のために頑張ってしまうのが医療従事者です
どうかどうかもっと環境が良くなって
医療職として働きたいと思う人が増えて
心をすり減らしてしまう人が少しでも減りますように