手帳を1年使い切るために必要だった、たったひとつのこと
※よい子は真似してはいけません。
「手帳術」という言葉を聞くようになって久しいように思います。
毎日を充実させるため。
夢を叶えるため。
自分と向き合うため。
目的はおよそスケジュール管理の域を越えて自己実現の領域にまで達し、多くの人が楽しんだり達成感を得たりしているように聞き及びます。
私も、毎年手帳を買っています。
予定は基本的にはデジタル管理だけれど、
自分のしたいこと、やるべきこと、家族の予定、そして何より「いつやってもいいけどそのうち必ずやらなければならないこと」みたいなふわっとした予定を網羅しようとすると、デジタル管理では行き届かないのです。
ただ、毎年、お世辞にも使い切ったとはいえない状況が続いていました。
フォーマットが合わないのか?サイズ感か?それとも使い方か?まあ、少々飽きっぽいというか、そういうところは否めないとしても…。
私だって毎日を充実させたいし、ちょっとした野望を叶えてみたいんだよ!
試行錯誤を繰り返し、半分以上白い手帳やノートが積み上がる2022年の秋、懲りずに2023年の手帳を手に入れました。
冒頭のページに「一年後の自分との約束」みたいなページがありました。
しばらく考えたあと、私は試しに(鉛筆で薄く)こう書いてみました。
『この手帳を捨てる』
いやいやいや!そういうことじゃないよ。
きっと手帳の企画・編集をした人は思ったでしょう。
でも私は、この一行を書いた瞬間に、自分でも驚くほど楽になったのです。
そうか。私が恐れていたのは、私が日々書きつけた生々しいものが残ること、そしていつか誰かに見られることだったんだ。
別に何か大病を持っているとか、ちょいちょいこの世から消えたくなるとか、そういうことではないのです。
それでもなぜか私は、自分の身に突然何かが起こって、二度と家に帰れなくなることがあるかもしれないという可能性を、いつも少しだけ感じています。
私の家族は揃いも揃って愛情深いので、そうなったらきっと、私が生きた痕跡を探すでしょう。日記や手帳の類は格好の材料です。
身の程をわきまえない夢を見て
身の程をわきまえない量のタスクを抱え
あるいは一方で、自分で決めた些細なtodoさえこなせない、しかもそれが何日も続いたこと、
あれを買った、これを作った、落ち込んだ、腹が立った、
そんなことを、私以外の誰かに知られたくない。
それが、私のブレーキでした。
要するに臆病な見栄っ張り。
一年後、捨てると決めた手帳は、それはもう楽なものでした。
思いついたことを書き、ところ構わずメモし、きれいに書こうとか、インクの色が昨日と違うとか、そういうことも気にしない。
近年稀に見る使い切りぶりの後、2023年手帳は、2024年手帳に転記すべきものだけ転記して、無事に天に召されていきました。
見返しもしないのに後生大事にとってあった、2017年以降の手帳たちを連れて。
2024年の手帳も、捨てる気満々で書いています。
そのうち愛着がわいて手放したくないと思うことがあるかもしれません。その時はその時で考えるけれど、一番優先することは、今日、活用できること。それを忘れずにいたいと思います。
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