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植物たちに罪はない、でもそのままではいられない

庭木をのこぎりで切り倒す、抜根できる木は抜く、を繰り返しています。
雑草との戦いになる前に、今できることは頑張っていますが、ここで思っていることを書きます。

15年思いつくままに植栽を植えたままにしていた疑惑…

前住人は、落葉するか?どの程度育つか?配慮はなく、植えたいものを植えて、放置していたんじゃないか?

このひと月、電線に届くと言わんばかりのモクレンの葉が、庭の地肌が見えないほど落ちていて、カサカサの茶色の腐葉土として庭を覆い尽くしていました。
この葉が大きくて乾燥していて、庭にタバコの吸い殻を悪気なくポイされたら、一瞬で大火事になると恐怖でした。

モクレンの枝には、日々新芽が大きくなっていて、生命力を感じます。
ごめんね、と思いながら、枝を整理してカットしました。咲き終わったら、刈り込みたいと思います。

枯れ葉を捨てるだけでもいくつ袋に集めたことやら?前住人はこんなことしていないだろう。
あの内装の傷みから想像するにも、やりっ放しでだらしないと思うのです。

こんな感じの植栽がいくつがあり、切り倒し剪定して、の繰り返しです。
切れば枝が出るので、地肌を見せた庭の土もまた枝でいっぱいになる、の繰り返し。
めげずにマイガーデンを作りたいと思っています。

自然の移り変わり、植物たちの生命力を感じることは、楽しいことも多く、苦痛はさほどないんです。
私が前住人のしたような植栽をしなければいいと思っていて、根本から切るのは木が可愛そうだから嫌なんです。
その樹木にも、生きてきた歴史があり、要らない!と切り捨てる申し訳なさを感じるのです。

手入れできる範囲で植えて、大事にしていきたいだけ。

庭も誰に遠慮することなく、自分の好きにしたらいい!
そんなことに慣れない育ちなのかとふと思ったのでした。

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