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ミャンマーBAR文化のこれからと未来。

ミャンマーの首都ヤンゴンでゲストバーテンダーとして呼ばれカクテルを作ってきました。

We love Myanmarの文字


お客様
『ミャンマー行ったの!? 大丈夫なの?内戦中でしょ?』

確かに内戦中。2024年12月の時点では政府軍は反政府軍にどんどん領土を奪われ第二の都市マンダレーには反政府側がミサイルを撃ち込み始めたとこ。現在でも首都ヤンゴンは深夜2時〜4時までは外出禁止令が出ていて、規則を破って捕まると若い男性なんかは内戦中の最前線に送り込まれる。

ただ、経済活動が動くところは動いていて
東京でいうところの港区みたいな場所が首都ヤンゴンにもあって物価の安いミャンマーにも関わらずカクテル一杯2000円くらいする世界線がそこにある。ダウンタウンの下町的なカジュアルバーに行ったらモヒートで150円くらいだったので住む世界が違うのだ。

150円のモヒートが飲めた通り


下町的な庶民とは別のエリアに

日本でいうところの港区(六本木、麻布界隈)のようなエリアがありそこは事業で成功した者や高学歴の方、はたまた大使館関係や資産家などが密集している所がある。僕はそんな所で呼ばれてカクテルを作ってきました。

BARの名前はConcerge(コンシェルジュ)
案内人という意味合いだろうか。
店内はモデル級の美女や地元のバリバリ稼いでそうな実業家の方々。店内はメインフロアのバーがあり
個室空間、そしてDJがいて踊れる空間などいくつのコンセプトの空間に分かれている。
僕が一番気に入ったのはこの空間。
マンゴーの樹齢の長い巨木なのだがこの木は飾りではなくしっかり生きている。
マンゴーの巨木周りに建物を建築しているのだ。


BAR FOODもしっかりしている。名前は忘れたけどこのグリーンチリと魚と柑橘の煮付けが抜群だ。


実はこの首都ヤンゴンの中心地にBARを作ったのはミャンマー人の父と日本人の母を持つユミさんだ。

海外経験豊富なユミさん。
海外に色々住んでミャンマーにはまだまだBAR文化と本格的なカクテルを出すBARが少ないという事から本格的なカクテルBARを作ろうという事で2023年にオープンさせたのが『concierge』。

ユミさん曰くオープン当初は大変だったらしく、そもそもミャンマー人はカクテルを飲む習慣があまりなく、ビール、ウィスキーショットもしくオンザロックくらいでカクテルをジュースくらいに思ってる人も多く浸透させるまでなかなか時間が掛かったそう。
少しずつ啓蒙活動をしてカクテルはこういうものだと伝え、少しずつファンを増やしていき現在に至る。いくつかのBARへ行ったがここが現在ミャンマーにおいての最高峰のカクテルバーだろう。

19世紀から存在していると言われる
ミャンマー発祥のクラシックカクテル
【Pegu club cocktail】
味噌汁カクテルもある。
味は出汁の効いた味噌汁とアルコール感で斬新だ


実はミャンマー人のバーテンダーは世界中に散らばっている。今でもミャンマー国内のバーテンダーは海外に出たがっている。流出著しい。それは国外に出た方が稼げるし今はミャンマー国内にいると徴兵される可能性もあるから若い者はどんどん出ていってしまうのが悩みとユミさん曰く。

シンガポールやタイに行くとミャンマー人バーテンダーは数多くいる。ドバイなんかもそうだ。
ドバイには何回か足を運んでいるがミャンマー人バーテンダーコミュニティにも会っている。
ドバイのミャンマーバーテンダーのコミュニティのリーダーは2024年にとあるカクテルコンペティションでUAEアラブ首長国連邦のチャンピオンにもなっている。
きっと内戦が落ち着いて彼ら力ある国外のミャンマー人バーテンダーが自国に戻ったらきっと大きく花開くのだろう。

その時を楽しみに待っている。

今回は治安の関係で安定している首都ヤンゴンだけであったがとても美しい場所でした。

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