グラスの思い出
素敵なカクテルならば
素敵なお洋服(グラス)を着させてあげる。
それが嗜好品の世界観だから。
そこに美しさと価値が生まれる。
僕はグラスが好きだ。
古い物は19世紀のアンティークのグラスから
現代的なグラスまで 。
BenFiddichには様々なグラスがある。
こないだうちの従業員に数えてもらったら
席数16席のBarで160脚もあった。
Barの規模に対してグラスが多過ぎだ。
まだ駆け出しの20代のバーテンダーの頃。
お金は全然なかった。
でもいつか独立して自分のBarを持ちたい。
その為になけなしの少ないお金でコツコツとアンティークグラスを買い集め、
自分の思い描くBarで素敵なアンティークグラスでどんなカクテルを作ろうか?とよく夢想した。
そう、
自分が20代の頃よく通った銀座のアンティークグラスショップがあってその名前は
【銀座グラスヒュッテ】
もう店主は老齢の為10年以上前に店舗は閉店している。
僕が20代半ばの頃
店主はもう70歳〜80歳くらいだった。
店主の名前は覚えていない。
お金が全然ない僕にでも見に行くといつも細かくグラスの歴史を僕に教えてくれた。
それがとても嬉しかったのを覚えてる。
買いもしないのに目の保養とグラスの勉強でただ冷やかしにもよく行ってた。
そんな中でもたまになんとか当時の僕の給料で手に届く範囲内の金額のアンティークグラスはちょいちょい買っていた。
店主も僕が金がないのを知っていたから少し安くしてもらった時もあった。
そして月日は流れ2013年独立
BenFiddich開業。
この当時で銀座グラスヒュッテは
店主老齢の為廃業。
開業当初は銀座グラスヒュッテで買った当時のアンティークグラスなどが大いに活躍してくれた。
僕が独立する前に店長をやっていた西麻布のBarではアンティークグラスなどは使えなかったので本当にカクテルを作るのが楽しかったのを覚えている。
あれから10年 2023年。
10年近くやっていると開業当初からあったグラスはもうほとんどない。
そう、割れてしまった。
それは僕らバーテンダーが自損で割ったり
お客様が不慮の事故で割ってしまったり
理由は様々。
こないだふと思って開業当初からあるグラスってあと何脚残ってるのかなって。
①左からエジンバラクリスタルのシスル
②モーゼルのパウラ
③バカラのローハン
④サンルイ風のリキュールグラス
⑤BenFiddich開業前にパリの蚤の市で買ったバカラ風のアルクール✖︎2
たかたがBenFiddichはまだ10年だけど
10年間僕はここでカクテルを作り続けた。
その中でもこの10年間割れずに生き残った上記の子達はとても誇らしいし愛おしい。
BenFiddichのいまの従業員で開業当時を知る人はもう誰もいないけどこの生き残ったグラス達は
開業当時からいる。
いわば古参だ。
僕と共に10年間BenFiddichで過ごしてる
先日 フランス人の有名バーテンダー
Remmy Savageが来てくれた。
知ってる方は知ってると思う。
若いながらも世界のBar業界に影響を与えてるうちの1人。
何年か前に日本のウィスキーの水割りスタイルを進化させた【Mizuwari cocktail】の先駆者だ。
ロングドリンクを様々な材料で清澄化して水割りのように気軽に飲めるスタイルの考案者。
ありそうでなかったスタイルを体系化させた。
彼は昔、ボンベイサファイアジンのカクテルコンペティションの世界チャンピオン。
2014年だったかな。
昔、BenFiddichに来てくれた。
僕は当時話の流れで彼が世界チャンピオンになったボンベイサファイアジンでマティーニを作ったらしい。
先日、Remmy SavageがBenFiddichを再訪してくれて彼が普通にマティーニをオーダーしてマティーニを出したら彼がこのグラスを覚えてくれていた。
『昔、あなたが作ったマティーニもこのグラスで出てきたよ!覚えてる。このグラスでのマティーニはとても美しかったから』と。
そう、この子も開業当初からあるグラス。
2014年にこのグラスで出したカクテルを
2023年の再訪でお客様が覚えていてくれたこと。
とても嬉しかった。
グラスにも魂は宿る。
開業当初から残ってるグラスはもうあと僅かだけれども大切にしたい。
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