「どうやら趣味も人生を豊かにするらしい」と気づいた話


つい二週間ほど前に、毎週リフレッシュしないといけない自分の精神状態と、些細なことでせっかくの癒しが無駄になる自分に嫌気がさして。

ブツブツ電話で親といろんなことを話しながら、いろんな気づきとこれからのことについて考えた。

最近「趣味は人生の豊かにするらしい」と気づいたことも大きな発見で。

趣味という存在を、新卒時代は特に「害」のようなものだと思っていた。時間の優先順位を考えたときに、いつだって遊び呆けることができる異性へのハラハラや趣味など、「今である必要などない」と。

学生時代に結婚を考えるほど愛して純愛を貫いた相手と、「タイミングではない」と関係を終わりにしたのは、「今は」自分のためにも、時間を有益に使うためにも、新卒という一生に一度のカードを切って、仕事に徹するべきだと。

仕事という世界は、初めて飛び込む社会というものは、今までになかった常識と価値観であふれていると気づき、そこへの野望と期待にすがり。

そこでの世界が、「私を変える」と信じていた(事実変わった)

本来の強気な自分や、自信を持つことができる分野や特徴を捉えることで自信をつけ、何かの壁を越えることの苦しみと同時に価値を知ることができたし。

私はその時にことを後悔していない。そのように生きることを選択できたからこそ入れた会社であり出会えた仲間であり、培った仕事への価値観。

今の自分の基盤を作ってくれた時期。

だから何も後悔していなくて、きっとここに正解はなくて、良し悪しもないのだけど、私が「変わった」ということなんだろうな。

気づいてショックだった、自分は「趣味」に生きる時間がほしい人間だということ

仕事でオンオフを見つけることがまだ難しく、休日に自分のオフを探し、仕事から離れる時間を意図的に作るようになった。

平日に終わらない仕事に向き合ってきた新卒時代の休日とは、結構形を変えてしまった。(それが良いのか悪いのかまだわからない)

何も考えずに休日に会社に行っていた頃を思い返しそれを今もやろうと思うと、正直嫌気がすごい。

会社を愛しているかどうかなんて感情的なものって当時と比べてもあまり変わらなくて、でも今の自分に今の職種で必要なことをやっていくにあたって「仕事以外のものに触れたい」という感情が大きい。

それは、「自分はできない人間である」ということを自覚する苦しい時間になる可能性が高いからなのだろうか。「やらなきゃいけない」ことは当時と同じようにあったけど、「頭を使わずともできること」だったり。


きっとそれは、今の私は、休日も、「精神的なパワーをかけて」模索をする必要があることと向き合わないと「前に進めない」から。

全く当時と休日に向き合う「コト」が変わったんだな。

当時も、苦しかった。これを超えないと先にはいつまでもどこでも進むことができないとわかっていたものに、「自分のために」向き合っていた。誰かと比べることで。「今しかない」という時間の有限性に突き上げられて。

「それには必ず終わりがあるから」とも思っていた。永続的に新卒でいられるわけがなくて、いつか必ず無償で与えられる時期は終わると。

その時期がいつかはわからないけど、自分自身がこれからの選択肢を持つことができるようになった(自分の精神的にも、今後を考えるようになった)のは、三年目にさしかかる時。

そこでもまだ「私には仕事」と思っていたけど。

何が私を溶かしたんだろう。

きっと、仕事だけになってそれだけを考えることで、精神的に壊れかけてしまった自分に気づいたんだな。

「これだけ」と決めると、そこでの自分への評価が人生の全てになってしまうことを頭ではわかっていたのに、それ以外の世界を作ってそこでの幸せを追求してこなかったから。

仕事でできない。わからない。これくらいでいいや。と思う自分に対しての苛立ちややるせなさに、押しつぶされそうになって。

プライベートで「離れていく人」がいると、必死で引き止めたくなる。その人が私を認め愛してくれていた頃に戻りたくなる。

自分が自分であることそのものが、難しくなった。急に、弱くなった。

こんなに他人に振り回されて生きてきたっけ?こんなに、信頼できる人っていなかったっけ?私ってこんなに一つの世界のなかでしか生きてないんだっけ?

時間と、消費期限への焦りを感じていた時代から、それらがなくなった今。「この仕事をする意味」を自分の中で納得して決めたはずなのに、その意味に掻き立てられて仕事をするのではなく、目の前の「できない」「わからない」「できるようにならないといけない」という感情に支配されて、そのさきの未来を見て頑張ることのできなかった今。

自分で自分を認めてあげられるほどに、自己肯定感があったわけでも当然なく。

どこまでいっても、自分が自分であることを納得できる場所がないように感じていた。

一つは、自分で自分を許してあげること。許してあげる。こんな感じだし理想はここにあるけど、でも私今日頑張ったな、とか。今日頑張ったから、これ食べようかな、とか。自分との対話をする中で、自分にとって今何が大事なのか、何をすると機嫌を取ることができるのか、をちゃんと向き合って拾い上げてあげること。

だって、じゃないと、私はいろんな人の感情を拾って自分を変えて、相手に合わせて、色々無駄なことまで妄想をして、不安になってしまうから。

自分の中だけで感情を終焉させることができないから。

そうやって吸収しまくる時間が苦しいんだよね。自分が自分じゃなくなるまで、着々と近づいてしまっている。

平日も、休日も。苦しいのに。それに耐えている。耐えることに慣れてしまった。

ちゃんとその自分に気づいて、少しずつ剥がして、自分軸に戻してあげないと

そしてもう一つは、ここ以外の場所を自分で見つけること。自分が没頭できる「好き」という感情を、無視しないこと。

今まで、たくさんのことを諦めてきた。異性との関係も、趣味も、土日の時間を仕事を使うことで、お金を稼ぐことに使うことで、自分の「不安」を解消し満たしてきたつもりだった。

でも、好きという感情は消えなくて。おしゃればバーも好きだった。綺麗な音楽を聴くことも好きだった。踊るのも、一人で歌うことも好きだった。

絵を描くことも好きだし、DJも好きだし、イベントに行くことも、何も期待をしていなくても誰かに初めましてで会うことでパワーをもらえることもわかっていた。


「私を本当に満たす好きなもの」は、蓋をとってちゃんと引き出してあげれば、たくさんあることに気づいた。

私は、時間軸と焦りによって、意図的に「見ないふり」をして、隠して盲目的になっていたけれど、「好きなもの」は、消えることなどないこと。

それを追求する時間は、仕事のことやストレスなどを忘れて、「楽しかった」という感情だけが残ること。

それを、26歳になって、知ったんです。


もしかしたら、と思う「私に合っている働き方」

時間で縛られることは嫌い。(でもきっと誰もが嫌い)

毎朝電車に揺られて仕事場に行くことが、「当たり前」になっていること。朝から自分の人生にも関わらずルートが決まっていて、それが当然だからそこに対して疑問すら抱かない状態になっていること。

クライアントワークだからこそ、自分だけの仕事ではないからこそ、ある程度合わせることも重要だけど、「選ぶ」ことすら一生ないキャリア人生は嫌だな。

自分である程度物事を決めてやっていくには、「私にはこれです」が必要なこと。転職で職務経歴書を書いたけど、そこで対外的に定量的に記載をする必要があるあのスキルを、自分なりに一つではなく三つほど持つこと。三つまで持てなくても、一つをちゃんと極めたものにすること。

自分なりの哲学を持つことができるレベルまで持っていくこと。

そのためには、「このプロダクトじゃなきゃ売れません」なのではなく、どんなプロダクトでも売れるような、営業に共通の何かを取得する必要があって。(しかも本来はここに自分の時間を使って考えるべきなんだよな)

それは、相手に寄り添って思考することや、役職の高い人の前でも緊張せずに話せるようになること。数人が出てきてもキーパーソンを口説くことに徹したり、相手の役職や興味に合わせてワードやスピード感を変えたり。

「自分だからこそ、できる営業」という自分の本筋を探したり。

相手の気持ちいいところを見つけるコミュニケーションを図ったり。不信を取り除くようにデータや資料を使ったり。

私個人を信じてもらえるように、武器を揃えたり。

たくさんのことが、「これからの私」を大きくしていくにあたって必要になってくる。この会社にいる私、ではなく、「私そのもの」。

2年後、28歳になる。何も考えずに朝会社に来る人生とは、おさらばしていたい。結果、という本質的なもので信頼関係を築き、自分のためにもっと他のものにも没頭しながら毎日を過ごしたい。

もともと派遣のアルバイトをしていたもの、毎日違う現場に行って毎日違う人たちを仕事をすることが性に合っていたからだ。

自分で自分の生き方を決めるために、あと2年

自分のためになる知識や経験を積むことで、それが結果会社にためにも繋がるからこそ、私はちゃんと、自分軸で生きよう。

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