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主人公な生き方か、ラスボス的な生き方か。

主人公、ラスボスという憧れ

筋トレをしながら「圧倒的な存在になりたいなー。」と思っていたときのことである。

ゲームには「圧倒的な存在」として、2つの立場がある。それが「主人公(ヒーロー)」と「ラスボス」である。この2つは対立して描かれることが多く、格闘家やアーティストなどを「主人公ぽい」や「ラスボスぽい」と表現することもある。

【ラスボス=悪いやつ=>醜いやつ=憧れの存在ではない】と考えてしまうのは大変浅はかだ。ラスボスにはラスボスなりの魅力があり、主人公にはない華がある。

そんな事を考えながら、自分は主人公的な存在になりたいのか、ラスボス的な存在になりたいのか、少し考えてみることにする。

主人公とはなんだろう

まず主人公の原義から確認しよう。
どんなテーマも原義を確認することはポリシーだ。

主人公(しゅじんこう)は、フィクション作品(小説・映画・ドラマ・漫画・アニメ・ゲームなど)のストーリーの中心となり物語を牽引していく登場人物。
日本語の「主人公」という語は坪内逍遥によるものとされている[1]。主人公の役割を演じる者は主役と呼ばれる[2]。英語ではヒーローヒロインと同義である場合もあるが、形式張った表現ではプロタゴニスト(Protagonist)と言う[3]
普通の人を超える力・知識・技術を持つ。

Wikipediaより

主人公の意味を調べて坪内逍遥に出会うとは思わぬ遭遇だ。
意味をまとめつつ、僕なりに主人公の要素をまとめる。
様々な主人公を鑑みるとこんな要素になるのではないか。

  1. 主人公とは、普通の人を超える力を持っている者である。

  2. 主人公とは、普通の人の延長線上(と思われる)にある。

  3. 主人公とは、強者に立ち向かう人である。

「2」の定義は僕オリジナルのものではある。ルフィや孫悟空、うずまきナルトを見るとわかるが、物語序盤から圧倒的に強いわけではない。(もちろん先天的に化けやすい要素は持っているが。)

マリオやドラクエの勇者、ソクラテス、坂本龍馬などもこの定義にあてはまるのではないだろうか。特に後ろ2人は実在する人物ではあるが、特に坂本龍馬などは物語の主人公として描かれる場合が多い。

本来は普通の人と何ら変わりないか、主人公は何かしらのハンデを持っている場合が多い。ただ成長に伴い壁を乗り越え、徐々にレベルアップして圧倒的な存在になっていく。そこに我々は共感を覚え、自らの夢を託したくなる。それがいつの間にか「主人公感」を生み出し、みんなの夢を背負った存在へと強くなる。

こんなものではないだろうか。
これだけ見ると主人公になりたくない人なんているのだろうか?と思ってしまうが、ラスボスにも相応の魅力はある。早速考えていこう。

ラスボスとはなんだろう。

ラスボスも同様に原義を確認する。
ちなみに「ラスボス」とは「ラストボス」の略称である。

コンピュータゲームなどにおいて物語最終局面待ち受けているボスキャラのこと。ゲーム進行の節目に登場するボスキャラのうち、最後last)のボスという意味RPGアクションシューティングなどのジャンルを問わず立ちはだかる敵を撃破攻略勝利していくタイプゲームは、大抵ボスキャラおよびラスボスが配置されている。ラスボスを撃破するエンディングエンディングデモ)に移行しそのまま物語終幕となる場合が多い。

ラスボスは基本的にゲーム中で最大最強の難敵である。

weblioより引用

おそらく要素としてはこのようなイメージだ。

  1. ラスボスとは、普通の人を超える力を持っている者である。

  2. ラスボスとは、普通の人の延長線上(と思われる)にはいない。

  3. ラスボスとは、畏敬を感じる存在である。

主人公との共通点は「普通の人を超える力」を手にしていること。
しかしそれらは主人公のように努力して獲得している印象がないことが相違点だ。

もちろん、ラスボスも努力はしているのだろう。
しかしイメージの話として、ラスボスは「圧倒的」で「怖い存在」で「親近感を抱かない存在」として描かれている場合が多い。

アスリートやアーティストだと「圧倒的なオーラがあり、誰にも負けない雰囲気」を持つ人を指して「ラスボス」や「魔王的」と表現することがある。織田信長などはまさしく「ラスボス」のイメージなのではないだろうか。

男なら憧れるかもしれない「ダークヒーロー」や「近寄りがたい存在」に適しているのは主人公というよりラスボスと言えるだろう。

どちらがいいか

みなさんは主人公とラスボスどちらになりたいだろうか。

この両者に共通しているのは「Vision」があることだ。
「世界をこういうものにしたい」。そのために主人公もラスボスも動き続ける。それがストーリーの文脈によって善悪が決まっていくだけの話だろう。

視点を変えてみると、主人公もラスボスだし、ラスボスも誰かにとっての主人公なのかもしれない。

実は僕は「ラスボス」になりたいとずっと思っていた。
昔の経験から、「誰かにバカにされたくない」「自分の権利を奪われたくない」という想いが膨らみ、「干渉されない存在」に憧れるようになったのではないかと自己分析をしている。

ただ今は「主人公」になりたいと思っている。
理由は、ラスボスにはなくて主人公にあるものを欲しているためだ。

それは「人に勇気を与える」ことにある。ラスボスは完全にトップダウンの世界観だ。しかし主人公は自分のストーリーに他者を乗せてくれる。なんでもない人に「自分もできるかもしれない」と勇気を見せてくれる。

僕はそれをラスボスに見出していたが、見出すことはできなかった。
主人公(僕の場合はとあるVlogのYoutuber)に見出した結果、自分も頑張ろうと日々勇気をもらっている。

主人公に、ラスボスに何を見出すかはその人次第だ。
しかし自分は、自分が欲しい物を主人公に見出した。

そのため当分は主人公的な生き方を心がけようと思っている次第である。


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