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丁寧に、素直に、ほめ合うこと
先日、衝撃を受けたエピソード。
先日、とある作家さんの作品を、本人を前に、ほめたおした。
本当に素敵だと思ったから、素直に。
すると、その方。
「やった。たくさんほめられた。今日は良い日だ!」
と朗らかに唄うように笑うではないか。
ぼくが今まで生きてきて、そこまで素直に、そこまでまっすぐに、人の言葉をキャッチする方はいたろうか。
素直に自分が思ったことを伝えられる人は見たことがあるが、
素直に誰かから思われたことを受け入れられる人は見たことがない。
だいたい、よくやるのが、よく見るのが、謙遜。
照れくささを隠すべく「そんなことないよ」。
または、当たり前に「そうだろ?」。
思いっきり誉めたら、同じかそれ以上で思いっきり喜んでくれた。
そこまで喜んでもらえると、言ったこっちまで嬉しくなるというもので。
今度は、逆にその作家さんはぼくの焼いたパンを誉めちぎった。
これは流行ってしまうかもしれない、と。
嫌にならないくらいのやり方でやりな、と。ペースも金額も。
その人は安くないかもしれない価格設定も、どうでもよいと言った。
問題じゃない。このパンが食べたいのだから、と。それでも食べたい、そういう人にだけ食べてもらえば良いのだから。私は食べたい、リピート決定、と。
そうして、作家さんは、仲間たちにぼくのパンの話をしてくれていったようで。
なんだか、パンがぼくの代わりに、歩き始めているようだ。
先日のイベントには、作家さんのお友だちが顔を出してくれた。
「パンをおすそ分けしてもらった」、と。「生命力と、やさしさを感じました」と。「ファンです」、と。初めて会った方にそんなこと言ってもらうなんて。
ぼくの知らないうちに、きっと、作家さんはいつもどおりに素直に、褒めてくれていたのだろう。
人をほめること。人にほめられること。
作家さんは世界をやさしくするために大事なことをぼくに教えてくれた。