不運「こんなダービー、まったく記憶にない」 スキルヴィング ~幻のダービー馬
「幻のダービー馬」なる言い回しがある。ダービーに勝てるだけの力がありながら、展開や不利に泣かされ惜しくも勝ちを逃した馬、ケガなどで大一番を回避せざるを得なかった馬、はたまたレース中の故障や落馬で完走すらできなかった馬などだ。
昔から「10人の競馬ファンがいれば、10頭のダービー馬がいる」と言われていることを考え合わせれば、「幻のダービー馬」を探せばキリがないといっていいくらいだ。
「大外でもいい。賞金もいらない…」出走資格さえなかったマルゼンスキー
そんな「幻のダービー馬」としてもっとも有名なケースは、もう47年もむかし、1977年のマルゼンスキーだろうか――。英国3冠馬ニジンスキーの直仔で通算成績8戦8勝、2着馬につけた着差の合計がなんと61馬身にも及ぶというバケモノである。
朝日杯3歳ステークス(現GI 朝日杯フューチュリティステークス)では、ヒシスピード(のちに京成杯、東京4歳ステークス/現共同通信杯に連勝)相手に大差をつけ、ラジオ短波賞(現ラジオNIKKEI賞)ではのちの菊花賞馬プレストウコウを7馬身差でちぎったほどだった。昭和の競馬にドップリつかった競馬オヤジの中には、「マルゼンスキーこそ史上最強馬」と主張するものは少なくない。
しかし、マルゼンスキーは持ち込み馬であったため、当時のルールでクラシックに出走することができなかったのだ。相棒だった中野渡清一騎手が「大外でもいい。賞金もいらない。他馬の邪魔もしない。この馬の能力を確かめるだけでいいんだ」と、ダービーを前にして苦しい心情を吐露したエピソードはあまりにも有名である。
そういえば、昨年(2023年)のこのコラムでも、「幻のダービー馬」の話を披露した。枠と展開に殺され、3着に終わったアドミラブルにほかならない。して、その原稿が公開された直後、すなわち昨年のダービーでも、悲劇的な「幻のダービー馬」が現れた。スキルヴィングである。
スキルヴィングは、名手クリストフ・ルメール騎手の”お気に入り”であった。デビュー戦こそ、仕上がりの遅さ、展開のアヤで「負けてなお強し」の2着に敗れたが、次走の未勝利戦からダービートライアルの青葉賞まで破竹の3連勝を果たしていた。2勝目となるゆりかもめ賞の圧勝ぶりから、相棒のルメール騎手が「今年のダービー馬」と絶賛したほどである。そこで、権利取りを青葉賞一本に絞り、余裕残しの仕上げにもかかわらず、リーチ一発ツモを決め、本番出走を果たすことになる。
ルメール騎手、まるで6年前のリプレイのように……
そして迎えた第90回日本ダービー。人気の中心は、前走の皐月賞で見事な追い込み勝ちを決めたソールオリエンスであった。スキルヴィングは2番人気。奇しくもこの2頭はキタサンブラックの仔であり、ポスト・ディープインパクトを巡っての種牡馬産駒のトップ対決という点でも注目を集めていたようだ。
人気の2頭は、ともに差し・追い込みの馬である。しかし、ソールオリエンスは前めの6番手あたりにつけていた。一方、スキルヴィングのほうはいつものように後方待機。前半の1000メートルは60秒4と速くはない。2400メートルの距離、近年の傾向からすれば、ある程度予想できたことであり、後ろすぎるのは極めて不利と言わねばならない。
けれども、“名手ルメール”は大一番でスローに飲み込まれるような凡庸な騎手ではない。6年前のダービーを再現するかのようなことをやらかしたのだ。
6年前、勝ったレイデオロは中団より後ろに控えていた。しかし、前半63秒3の超スローだったため、展開に泣かされることを嫌ったルメール騎手は、突如として向こう正面の半ばあたりで仕掛けたのである。3コーナーでは先行集団に取り付き、4コーナーでは早くも2番手にいた。そして直線で残り400メートル時点で先頭に立つと、急追するスワーヴリチャード、アドミラブルを振り切り、先頭でゴールを駆け抜けた。スキルヴィングとコンビを組んだ2023年のダービーでも、まるでレイデオロのリプレイのような乗り方をしたのだ。
そんなわけで、4コーナーを迎えた時点ではすでに前を捉える射程圏内に入っていた。あとは、いつ仕掛けるかだけである。
ところが、そこからが6年前とは違っていた。直線に入ると、スキルヴィングがズルズルと下がっていったのである。結局盛り返すことはなく、大差の最下位に沈んだ(ドゥラエレーデが落馬競走中止したため、着順は17着)。しかも、ルメール騎手が下馬した直後、馬自身がバッタリと倒れ込み、動かなくなってしまった。その時、すでに息を引き取っていたのだ。
じつはレースの最中に急性心不全を起こしていたというではないか。長いこと競馬を見ているが、このようなケースはまったく記憶にない。しかも、競馬の祭典・日本ダービーの真っ最中というのだから、驚きである。まさに絶句というほかはない。
もし、心不全を起こしていなければ、ダービーのゆくえはどうなっていたのだろう……。競馬にタラレバは禁物といわれているが、もしそれが許されるなら、あえて言いたい。あの突発的なアクシデントさえなければ、スキルヴィングが第90代ダービー馬の座に輝いていたはずだ、と。
今年は、まず全馬の完走を祈る。
“お宝”は記憶の中にある!
👇珍宝堂井鶴斎先生の今年の日本ダービーの予想は……
◎ジャスティンミラノ
○ゴンバデカーブース
▲エコロヴァルツ
◎本命は、黙ってジャスティンミラノ。ハイペースの皐月賞で、中団から差し脚を伸ばして1冠を奪取。先に抜け出して勝ちにいき、強い競馬をみせたジャンタルマンタル(3着)がNHKマイルカップで2着に2馬身半差をつけて快勝したことを考えれば、2冠目の日本ダービーも通過点でしかない。
○対抗は、前走のNHKマイルカップで6か月の休み明けにもかかわらず4着に頑張ったゴンバデカーブース。かつてNHK杯(当時、2000メートル)がダービートライアルだったことを考えれば、ここを叩いての参戦はローテーションも問題なし。叩き2戦目の本番はむしろプラスになるはずだ。
▲単穴は、エコロヴァルツ。皐月賞は7着だったが、このレースで記録した上がり33秒9はレガレイラとともにメンバー中、最速のタイム。舞台が直線の長い東京競馬場に移り、注目したい。
△皐月賞で1番人気を裏切った牝馬のレガレイラも6着と掲示板も外したが、エコロヴァルツと同じ理由から、人気落ちで抑えておきたい。
(珍宝堂井鶴斎)
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