朝鮮のホランイ(虎)と戦争🐅
朝鮮では虎のことを「ホランイ(호랑이)」という。ちょんぴょんしるさんという方の書いた「民話で知る韓国」(NHK生活人新書)によれば、昔話のなかで韓国人がもっとも親しみを覚えるのがこのホランイだという。「ホランイが煙管を吸っていた頃」といった語りだしではじまる民話はとても多く、聞き分けのない子供に「ホランイが来るよ」と言ったり、怖い先生に対して「ホランイソンセム二ン(虎先生)」と言ったりするそうだ。
日本ではきっと鬼とかおばけ、なまはげみたいな畏怖の対象が、実在する生き物でもある世界。これが、前回すこしだけ触れた神話の思考のはじまりなのだと思う。
日本にはいない虎が朝鮮半島にいること。日本人はいつ頃からそれを知っていただろう。古代から浅からぬ縁のある地域だから、かなり以前から知っていたはずだが、確実に実物と遭遇し、生け捕りして持ち帰った記録が残っているのは秀吉の安土桃山時代だ。
小宮輝之さん監修の「人と動物の日本史図鑑2」(少年写真新聞社)によれば、16世紀の末行われた朝鮮出兵で、虎の毛皮と骨、また生け捕りされた虎が持ち帰られた記録が残っているという。なんでも、大坂城敷地内に檻を設けて飼われ、虎の餌のために犬が与えられたのだとか。
秀吉の命を受けて出兵した武将として加藤清正の虎退治は有名な説話だが、その真偽のほどは怪しい。毛皮を送ったのは確からしいが、清正本人が捉えたとする描写はその後の脚色という側面が強く、資料に乏しいようだ。そしておそらく、秀吉に最初に虎を送ったのは亀井茲矩だったと思われる。
下記の本からの孫引きになるが、小田省吾氏が昭和9年に行った京城帝国大学での講演によると次のようにある。
たまたま虎を送って歓心をかった茲矩に続けと、さまざまな武将に虎狩りをするよう秀吉は命じている。吉川広家は釜山近郊の東萊から、島津義弘は慶尚道昌原で捉えた虎二頭を塩漬けにして送った。ではなぜ虎を送らせたのかというと、秀吉の病気療養、養生のためだったそうだ。虎の骨はいまでも中国では漢方薬として重宝される(そのため90年代のアムール地方や、現在のインドでは未だに密猟が絶えない)し、当時は虎の肉(脳みそ説もあり)が病を癒すとされた。他方「鍋島文書」によると、一度献上した武将には「この上はいらず候間、狩仕事一切無用に候」とも言っていたそうだから、各自一度で十分と思っていたらしい。
虎にとっては傍迷惑な話だろうが、当時の日本ではとても珍重されたであろうことは想像に難くない。
さて時代は移って、近現代。朝鮮半島ではいつ頃まで虎がいたのだろうか。
1986年出版の「韓国の虎はなぜ消えたか」遠藤公男/著によると、取材当時韓国で50数年ぶりに虎が捕まえられたという騒動があったという。メディアがこぞって取り上げたところ、後日その情報提供者による大嘘だったということが判明。そこで確かな情報を確認しようとした新聞記者らが、慶州ライオンズクラブ会長李相杰氏に確かな写真はないかと問合せが殺到した。そこで発掘されたのが下の写真だ。
撮影日は1921年(大正10年)。とても巨大な虎が大徳山で捕まえられている。
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