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#32 元夫からの最後のプレゼント

こんにちわ。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の32話目です。

元夫についていろいろ書いてきたけれど、きっと多くの人はじゃあなんで結婚したんだよ、とツッコミたくなるはずで、それについて書いてみる。


先日、ベランダを片付けた。
室外機の下に置かれていたコーヒーのかすの入ったトレーを捨てた。
スギ花粉をコーヒーのかすが吸収してくれるらしい、テレビでそんな話を聞いた夫がわたしを気遣って置いたものだ。白い食品トレーが無造作に置いてある感じとか、多分春に置いた後今日までそのままになっているであろうことが元夫らしく、少し懐かしかった。

あの瞬間は鬼のように見えたけれど、やさしい人ではあったのだ。
同じ人間の中にどちらも共存しているのだ。
その人のすべてを見ることはきっとできない。見てはいけない部分だってあるのかもしれない。

夫の匂いが好きだった。
最初に惹かれたのは、わたしの中の本能的な部分だったように思う。
野生の獣みたいに見えた。

昔、ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントに行ったことがある。
入ると、そこは真の闇だった。
ガイドの方についていくのだが、全然歩けなかったわたしは、夫のシャツの裾につかまりながら歩いた。
足元には段差があったりもするので、ガイドさんの声を聞きながらかなりゆっくりしか進めない。
けれど、夫は目が見えないガイドの方に難なくついて行って、何の違和感もないようだった。しかも、夫は耳があまり良くない。

闇をすいすい歩いていく。
日常では全然役に立たないような、そういうところを好きになった。
この獣を飼いならしたい、ひっそり思った。

だから、社会的な部分を自分が担うことは、必然だった。
二人だったら、金銭的な負担を自分だけで背負ったとしても、わたしはあまり何も感じなかったと思う。
後半子どもが加わって、それが重たくなりすぎたけれど、途中までは想定の範囲内だった。

雄として、魅力的な人だった。
彼は道に迷わない。太陽の位置や星の位置で方向がわかるらしい。
手をかざすと、お腹が痛いと泣き続ける娘がピタッと泣き止む。
夫には、そういうよくわからない何かがあった。

誤算だったのは、わたしは人間だったことだ。
当初、まともに社会で生きる気なんかなかった。
どこかで朽ち果てるまでただ生きながらえるくらいのつもりだったのだ。

動物としては魅力的な夫には、人間として社会で生きていく力はなかった。
ルールを守れない、というかそもそもルールを知らない。
だらしなくて、やさしすぎて、純粋すぎて、我慢を知らない。
空気を読むどころか、人間の気持ちがわからない。
言葉を扱うのが下手すぎる。
夫の中には今日と明日くらいしかなくて、遠い未来は存在しない。
いつも、人間社会で損ばかりしていた。

昔、カウンセラーの先生がわたしの話を聞いて泣いてくださった。

「あなたたちは、支え合って生きてきたのね。」

共依存、は今でも恐怖だ。
だけどあの頃のわたしが生きていくには必要だった。
夫がいなかったら、わたしは今ここにいない。

だけど、その後わたしは人間として生きていく術を身につけていく。

それは、同時に夫のできないことを露呈していくことだった。
夫のできないこととわたしができることが増えていった。
夫を守るためにわたしがやったことはを夫を追い詰めた。
子どもが産まれたわたしたちは、もう社会に背を向けることができなくなっていた。

昔、自転車に置いてあった買い物袋がなくなったことがあった。
ショックで泣きそうになるわたしを、夫は「きっと腐ってたんだよ。自分たちが食べるべきじゃなかったからなくなったんだ」そう慰めた。
めちゃくちゃだ、と思いながら、でもそれがわたしを救っていた。
夫といれば、笑顔になれた。
失敗するたびに怒られる、と条件反射でビクビクしてしまうわたしを絶対に責めなかった。
どこまでもやさしくて、実家から出てきたわたしに家を作ってくれた。

そんな夫を必要としていたのはわたしの方だったのに。

今、わたしの両手は子どもと手が繋がれていて、もう夫の手を取れない。
いっぱいいっぱいだ。
つらかったわたしは、夫に人間になって、と多分言ってしまった。

夫はたぶん人間になろうとしてなれなかった。
昔からほんとうは優しかった。(とんちんかんな優しさではあった)
夫はわたしを責めなかったのに、わたしは夫を責め続けた。
今はもう、やさしい野生の獣みたいだった夫はいない。

わたしがぐちゃぐちゃにしてしまった。
だから、夫だけが悪いわけじゃなくて、おあいこなのだった。

わたしには傷つく資格なんか、本当はない。
空気が読めない夫が好きだった、今は空気の読めない元夫が嫌いだ。


夫に感謝している。
あっさり離婚を承諾してくれたことと、わたしがこの離婚でダメージを受けていないことだ。
夫の元を去るわたしを責めもしなかったし、謝りもしなかった。
これは、優しかった元夫からのたぶん最後のプレゼントだ。

今までありがとう。
直接言えなくて、ごめんなさい。



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