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透明になりたい

こんばんは。id_butterです。

「予感」というものは、なんとなく感じることであり、言語化しづらいようなあっさり風味の奥ゆかしいものだと思っていた。

けれど、最近、わたしのそれ予感はド派手にやってくる。
通っている脱毛サロンの急な移転(事実上の閉店)、いつも通っているハンバーグ屋さんの急な閉店、20年来のつきあいである友人たちからの離脱、元夫との和解、、、これだけ続けばもう予感ではなく、確信だった。
あーまた誰かと離れることになるんだろうな、と流石に気づくようになる。
ド派手にきたのは、わたしに心の準備を促すためだ。

今までも、予感はあった。
その度に「別れ」、「離れ」、「手放して」きた。
それはあっさりとこなした方がいい。
ジタバタするとその分傷口は広がるから、あっさりとこなして後は寝る。

今回は、Mr.セロリ氏と離れることになる。
うっすら感じ始めたのは、このあとのことだ。

このとき、表面のわたしはふわふわしていた。
彼ではない別のひとMr.セロリ氏を好きになる、そんなことがあるんだろうかと思った。
けれど、その裏の奥の方で、違和感はチカチカし始めていた。

これ↑を書いた時、「あなた、Mr.セロリ氏が好きなんでしょ」と読んだ人は思うだろうな、と思ったけれど、これを書きながら「彼の方が100倍くらい好きだ(った)。」と実は思っていた。

Mr.セロリ氏と話すたびに、近づくほどに違和感は増していく。
けれど、好きな気持ちはどこかにあるような気がして、「こんなはずはない」と思ったりした。
相手が間違っているはずがない、わたしが見落としているか、きっと悪い風に取っているだけなのだ、何度も違和感を打ち消した。
その度に、わたしの中にあった努力とか感謝とか尊敬とか愛とかそういうかけがえのない何かが、ひっそりと消費されていった。
代わりにため息とか虚しさとか諦めが降り積もる。

そしてある日、エネルギーがゼロになった。
あ、ダメだと急にわかった。
もうとうにダメになっていたのに、気づかないふりをしていた。

ここまでごまかし続けてきたことを、今ならやっと説明できる。

現実に現れた事象はいくつもあった。

例えば、彼が講義を進める上で重視しているある能力である。
講義を重ねるにつれ、わたしは気づいた。
たぶん、その能力に限れば、彼よりわたしの方が能力が高い。
それは彼の話す言葉の端々からわかってしまうことで、わからないふりはできなかった。
彼が想像で話す何かを、わたしは実感として理解できてしまう。

それでも、わたしの中の尊敬の温度は変わらないと思っていた。
わたしは彼ほどにその能力を重視していない。
その能力があろうとなかろうと、人生の課題にまっすぐに向き合い消化して、進んで行くひとを知っている。
その能力はサポートでしかなく、結局のところ、本人次第だ。

人よりも視力がよかったからとて、歩かなければ一歩も進めない。
目の見えない人だって、一歩一歩踏みしめて自分の力を信じて歩き続けている人はいる。
わたしが言いたいのはそういうことだ。

けれど、この能力の差を気にするのは彼なのだった。
彼も気づいている、そう思うたびにわたしは削られていった。
別のいたる所で、衝突が起きた。

そして、このことはもう一つの事実を示唆していた。

彼の講義には、わたしが欲しいものはない。
この事実に、わたしは見て見ぬ振りをした。
気づかないふりをして、嘘をついて彼の仕事を手伝い続けた。
だから、エネルギーが切れたのだ。

わたしが求めるものは、その能力や能力の向上ではない。

何かにぶつかり、課題に向き合うときはひとりだ。
けれど、もしやぶれてもだいじょうぶだよと言ってくれる誰かがいた。
疲れ果ててあしたのジョーみたいになっているわたしに声をかけてくれる誰かもいた。課題に向き合う勇気をわかってくれる誰かもいた。
その温かさに、本気の応援に、わたしは幾度も救われてきたのだ。

けれど、その誰かに、Mr.セロリ氏はなりえない。
課題に向き合う怖さを彼は知らない。
彼が否定しても、そのことはわかりすぎるほどわかった。

ここは、もうわたしのいる場所ではなくなった。
彼とわたしのすれ違いは勘違いではなかった。
エネルギーがずれている。
隣にいても、見ている世界が違うのだ。

それを認めることは、悲しかった。
何度目かだけれど、それでも初めてのように悲しい。
そして、その悲しさは誰かと共有できるものではない。
悲しみがふりつもる。

本当は、予感を感じている時点で、来る未来を避けられないことはわかる。
けれど、はっきりするまで確かめるまで一応努力してしまうのは、この悲しさを味わうのがいやだからだ。

好きだったら、よかったのにな。

わたしはまた、この場から離れて違う場所に行くらしい。
どんどん周りの風景は変わり、正しい方向に向かっているのかどうかはいつもわからない。
わたしの何かが背中を押し、足を動かすのだから仕方ない。

いつも、選んでいるようで選ばされているような気がする。
それが流れに乗っている、と言われると、本当に?と思う。

どうあれ、わたしの中にある答えに逆らえはしない。

また、ひとりになる。
離れることには慣れても、去ることにはまだ慣れていない。

でも、それはそれで悪くない。
最近はそう思う。
平気になるのも違うのかもしれない。
寒い夜に散歩をして、頭がキーンと冷えていく、そういう自分も嫌いじゃない。

進めども、進めども、先は見えない。
でも、歩くことだけに集中するその瞬間、頭の中には何もない。
どこにも辿り着けないかもしれない、その不安は消える。
周りにはもう誰もいない。
けれど、登るたびに、空気は澄んでいく。
自分も透明に近づいていける気がする。

そう思えるようになった。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけど。


この世界観がけっこう好きです。




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