大学院生に〝ふさわしい〟のは誰なのか?
奨学金を受給されて大学院で研究している主婦の方に対して
「旦那の稼ぎで生活費まかなってるくせに、稼ぎもないのに安易に大学院に来るな」
「大学院はカルチャースクールじゃないんだ」
「奨学金は本当に研究者になりたい人に優先的に支給すべきだ」
などというツイートをぶちかまして騒がせている人がTwitter上に登場。
案の定、それに反論するリプやRTの嵐で針の筵のようですが(その後、ツイ主氏はこのツイートに表示制限をかけています)、ツイ主氏は寄せられた反対意見を「クソリプ」とくくっているなど〈無視するに限る〉タイプなようです。
まぁ、よくよく考えてみなくても、上記のツイートが
●自分で稼がないと大学院に行ってはいけないの?
●カルチャースクールで学ぶことは大学院よりも劣ってるの?
●奨学金を決めるのは100%財団や団体等なので、貰う側(院生)ではない!
と疑問と矛盾だらけなことは明らかでしょう。
(だって、親から学費貰ったらダメなことになるじゃん……)
でも、私自身〈主婦で院生〉なので、正直このツイ主氏の言いたいことが分からないでもない。
こういう人から
〝いいご身分だとか思われているんだろうなー〟
という引け目を感じたことはあります。
ましてや、ウチには子供がいないので、余計に〝お気楽〟というレッテル貼られてるのかも、というコンプレックスも感じます。
まぁ、でも人と比べてもしょうがないし、比べ始めるとズブズブと沼化するので、そこは気にしないに限る。
しかし、何となくあらゆる分野で漂う
「苦労せねばならない!そうじゃないと一人前じゃない!!」
という風潮は何とかしたい。
金銭的に余裕がありつつ、最初から才能が豊かで苦もなく好きなテーマで良質の研究成果をあげられる院生、なんて最高じゃないですか!
それがダメな理由を教えて欲しい。
で、この乱暴なツイートに対して、各分野の研究者の先生方や学びに関心を寄せる方等は一斉に反論しています。
皆さんの意見は、当然ながら一様に
「どのようなバックボーン(性別・国籍・職業・経歴等々)があろうとも、学ぶ権利は誰にでもあるし、誰もそれを止めることはできない」
というものでしたし、私はこれらのツイートを読んで、改めて「誰でも学んでいいんだ」と励まされました。
試験に合格すれば、大学院には誰が入ってもいいんです。
大事なのは、入学後。
大学院は学部での一方通行的な授業とまったく違って、自分でテーマを立て、調査(理系だと実験かな?)し、論証して(それなりのクオリティの)論文を書くというものなので、院生自身がどう動くかに全てがかかっています。
それこそ〝自己責任〟です(←自己責任の正しい使い方)。
続けるのも辞めるのも、その人次第。
ということで、「何となく」では厳しいんですよね。
かつて就職ができずに〝何となく〟大学院に入学して、入学後に指導の先生からの〝放牧〟が許された時代は終わっています。
なお、このツイ主の人、ある〝主婦〟の方からあまりよくない思いをさせられたのかも知れませんね。
その経験を恨みに思っていても、「主婦全体に拡げんなよ」というか「主婦という雑なくくりで人を見るなよ」という感じです(主婦とひと口に言っても、その人の背景は千差万別だ)。
あと、ツイートに「私達は困っている」とあったのですが、この「達」とは一体誰なのか?よく耳にする「皆がそう言ってる」のフレーズとあわせて、考えなければならいことです。