べるつりー

べるつりー、要するに鈴木です。

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最近の記事

否応なく"大人"になっていく

祖母が、今月の頭に亡くなった。 その日から大袈裟じゃなくほんとに毎日泣いていて、ほんとに毎日、体が重い。 メンタルは安定しないし、何をしてても喪失感があるというか、絶望というか。 小学生の時から、限界を迎えるとおばあちゃんに電話してた。 もっぱら、「ママと喧嘩した。」が話題だったけど、おばあちゃんはいつも、「頑張っててえらいね、すごいね」って褒めてくれた。 絶対に私を否定しなくて、温かさで包んでくれる人だった。 「だった」、って書くのも、本当は嫌だ。 でもこういう、ちょっ

    • 人生の前半にイベント集まりすぎじゃない?

      友達の何人かには話したことあると思うんだけど、私は40歳で結婚して60歳で出産して80歳で死にたい。(健康のこととか色々無視してね) 私はいつか子供を持ちたいと考えているから、自分が健康なうちに子供を持ちたいし、まだ頑張れる時に子供の成人を見届けたいと思うと、30までには、って考えてしまう。 結婚する前に1年間は同棲して生活の擦り合わせをしておきたい。さらに夫婦2人の時間も楽しみたいと思うと2年間は夫婦で過ごしたい。そういう諸々のことを考えると、26歳までに同棲を始めていな

      • 「人生最初で最後の一大事なんです」

        まさか延長された会議の会議室を新卒の私が一番最初に飛び出すなんて思わなんだ。私はどれだけ周りに恵まれているんだ。今日は、V6と私の周りの人たちの優しさの話です。 2021年10月25日がV6にとっての最後の音楽番組出演で、26日が最後のテレビ出演だった。私がV6を好きなことはもう私の所属している局内では有名なことで、「解散って年末?」「いえ、11月1日、彼らのデビュー日までです」って受け答えを何度したか数えられない。 25日はCDTVに出演していて、定時を過ぎた頃に「あれ

        • 玉ねぎを飴色になるまで炒めます。

          「玉ねぎを飴色になるまで炒めます」ってやったことあります?私はなかった。 実家を出てから自分で料理をするようになって、仕事帰りの電車では専らレシピサイトを見るのがルーティンになっている。同居人が買ってきてくれた大量の新玉ねぎをどんな料理に使おうかなと考えていて、オニオンスープに行き着いた。 レシピを使う人は必ず出会うであろう、「玉ねぎを飴色になるまで炒めます」。「透明になるまで」も頻出。でも玉ねぎは炒めても透明になんてならないし、飴色になるまでなんて待てない。 今日たま

          あの時死にたかった、中学3年生の私へ

          生徒にとっては学校が世界の全てで、年齢を重ねれば重ねるほど「あの時は狭い世界にいたな」と思うのだろう。それでも、あの時はその狭い世界の中で、死にたいと思っていた。 note恒例、自分語り。 思えば小学生の時から、昼休みを一緒に過ごしたり一緒に下校する友達はいなかった。誰かと一緒に帰るには家は近すぎたし(学校は家の目の前)、昼休みは...何をしてたんだろう。外で走り回ったり運動をするのは苦手だったから、教室の中に基本的にはいた気がする。 中学受験をしたけれど、誰にも、何も

          あの時死にたかった、中学3年生の私へ

          日々と絶望に追われる

          日々に追われるとはこのことかってくらい、時間がない。生きているので時間はあったはずだけど、知らない間に溶けている。 大学を卒業して、会える人には会えるうちに会おう、そしてインターンも最後まできちんとやろう。そう思っていたら、15日から毎日のように予定が入り、毎日出掛けている人間になってしまった。もともと平日に大学・バイトをしたら休日はしっかり休みたいタイプなのに、今は休みの時間がない。 その上実家を出たので家事も自分でしなくてはいけない。私の住み始めた地域は可燃ごみが土曜

          日々と絶望に追われる

          引越し作業開始前日の夜に思うこと

          明日、ついに念願の引越し。業者には頼まずに地道に運んだりするので、約1週間かけての引越し作業が明日から開始される。 ここまで、本当に色んなことがあった。 行く予定だった不動産屋さんには予約の日にちを間違えられて、急遽違う不動産に飛び込み訪問。その時たまたま行った不動産屋さんの担当者がいい人で、価値観を共有してお部屋を探すことができた。同居人となるいとこと共に四苦八苦の日々。叔母からの口出し、親との意思のすり合わせ、いとことの話し合い。 嫌なことがあった時には「察してちゃ

          引越し作業開始前日の夜に思うこと

          私の場合、誰かに読まれることを前提に書いた文章は死ぬ。

          ありがたいことに私のnoteを結構観てくれてる人がいて、初めてnoteを書いている時よりも「読者」を意識するようになった。でもなんだか読んでくれてる人に面白いと思ってもらおうとして、結果何を書きたかったのかわからなくなることがちょっとある。頭に思い浮かんだことを適当に、つらつら書いている方が私にはあっているらしい。 思い返せば、「読まれた上で評価される」とわかっている文書はずっと書くのが苦手だった。例えば高校生くらいから書かされる小論文。ご丁寧に赤ペンを入れられて返ってくる

          私の場合、誰かに読まれることを前提に書いた文章は死ぬ。

          「やっぱ友達って最強ぢゃね?」と心にギャルが生まれた帰り道

          大学の中で1番信頼してて心を許してて素を出せる友達と半年ぶりに再会した。本当なら今年はたっっくさんいろんなところに遊びにいくはずで、素敵な思い出と写真が残すはずで、なのに。コロナのせいで何もかも計画倒れした。こんなに悲しい4年生になるとは思わなかった。 でも、例え家の中でも、外でも、公園でも、一緒にいて楽しいのは変わりない。大学では深い友達はできないってよくいうけど、そんなこと言ってたのだれ?ってくらい大事な友達ができた。 わたしが嬉しいと嬉しそうにしてくれて、悲しいと一

          「やっぱ友達って最強ぢゃね?」と心にギャルが生まれた帰り道

          自己紹介だけ聞くと私はとてもとっつきにくい。(文字じゃ何も伝わらない)

          ガチ自己紹介を書くと私はとてもとっつきにくい人間になることに気がついた。高校生の時の部活は合気道、大学に入って弓道を始めて、茶道は中学2年生からやってて今でも習ってますって聞くとなんかもうめっちゃお嬢様育ちみたいじゃない?仲良くなった人にネタとして話すにはいいんだけど、どうやっても初めての人が字面だけを見た時には引いてしまうような言葉が並んでいるように感じる。私がこういう自己紹介を並べている人に出会ったらきっと、「すごいですね」ってしか言えないし、そんな人に何の話をふればいい

          自己紹介だけ聞くと私はとてもとっつきにくい。(文字じゃ何も伝わらない)

          追われる側もしんどいことを知った話

          好きな人には追うよりも追われたいタイプ(?)の私だけど、追う人生を22年送ってきた。つまり片想い。これから話す人は私のことを恋愛対象として見ているのかそうではないのかは分からないけど、とにかく、追われる側もしんどいことを知った。 私を追っている(?)のは、インターン先の2歳上の先輩。全然話したことはなかったんだけど、仲良くしてもらっている他の先輩たちにディズニーに誘われて行くことになったら、メンバーにその人もいた。5人で行く中で、その人だけ男性。とりあえず佐藤さんと名付けよ

          追われる側もしんどいことを知った話

          10年ぶり2度目の失恋って、甲子園かよ。

          ドルチェ&ガッバーナの香水で色々思い出す人もいれば、町の風景で思い出す人もいる。 まさか私に、日常的によく見る風景でズキってなる日が来るとは思わなかったよ。ドライブで家まで送ってもらうもんじゃないね。 ツイッターの方で失恋匂わせのようになっているのでこの際はっきり書いておこうと思う。失恋した。恋人はいたことないのに失恋は一丁前にしているのちょっと納得いってないんだけど仕方ない。私が想う相手はだいたい私を想ってくれない。 就職先が決まって「幸せだな」って思ったのは「決まり

          10年ぶり2度目の失恋って、甲子園かよ。