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【人物月旦 #05】😁寸借詐欺師のはなし

はじめに
このエッセイでは、登場人物のプライバシーを守るため仮名を使用しています。物語や感情は真実に基づいていますが、名前にとらわれず、本質や物語そのものを楽しんでいただけることを願っています。

👇️本編要約
実体験をもとに、「寸借詐欺師」との遭遇が考え方の転機となったエッセイです。詐欺被害やロンドンからスウェーデンのヨーテボリまで国際バスでの長距離旅の波乱を経て、北欧での発見や友人との絆、それをきっかけにしたショートフィルム制作に繋がる物語です。

P/S:いつも温かい「スキ」をありがとうございます。気に入っていただけたら「スキ❤ボタン」で執筆を応援してもらえると心強いです。これからもよろしくお願いします!


人生の中には、まさかの展開から思わぬ学びや良い影響を受けることがあります。今日お話しする人物月旦第5回目は、イギリスで遭遇した寸借詐欺師の話です。詐欺というとネガティブなイメージがつきものですが、不思議なことに、その出会いを振り返ると、私の人生にとって結果的に「プラス」になった出来事だといえます。
私は比較的長い間海外で生活していましたが、幸いなことに詐欺や強盗の被害に遭ったことはほとんどありませんでした。振り返ると、危ない場所に足を運んだり、不用心な行動を取ったりしたことも少なくなかったはずですが、なぜかそういった目に遭うことなく過ごせていました。
とはいえ、ただ一度だけ例外がありました。それが、寸借詐欺に遭った時の話です。
この詐欺師が今回の「人物月旦」の主人公です。正直、これまでに紹介してきた「私に良い影響を与えた人たち」とは少し趣旨が異なるようにも思えます。しかし、この寸借詐欺にあったことを一つのきっかけとして、発想を変えて、その後行動したことで私に良い影響をもたらしたからです。「プラス」と「マイナス」を天秤にかけると、明らかに「プラス」のほうが大きかった。だからこそ、このエピソードを記録しておきたいと思いました。
それでは、寸借詐欺師との遭遇と、その後に訪れた意外な展開を、本編でお話していきたいとおもいます。


嬉しい知らせ

友人のトビーが結婚したという手紙が届いたのは、私がイギリスで生活を送ってだいぶ慣れたころでした。その知らせを読んだとき、まず感じたのは素直な喜びでした。トビーは私がシドニーで多国籍の友人たちと共同生活をしていた時の同居人の一人でした。(共同生活について詳しくは人物月旦#04

手紙には、彼が新しい生活をスウェーデンのヨーテボリで始めたことや、結婚式の簡単な様子が綴られていました。それを読んでいると、彼が幸せな時間を過ごしているかが伝わり、自分のことのように嬉しくなりました。それと同時に、「久しぶりに会って、直接お祝いを伝えたい」という気持ちが湧き上がりました。

当時の私の生活は、日本語教師のアルバイトで少しは楽になってきたもののまだまだ、贅沢をするまでの余裕などありませんでした。それでも、オーストラリアでの時間を共にしたトビーの結婚を祝うために、なんとか時間とお金を工面しようと思いました。スウェーデンのヨーテボリという場所に行くのは初めてで、不安もありましたが、それでもトビーに会えると思うと、不思議なほど前向きな気持ちになれました。

「手紙だけでは足りない、自分の言葉で直接お祝いを伝えたい」。そう思ったのが、この旅の始まりでした。

ヨーテボリに向かう計画を立てる際、私の頭の中にはいくつもの現実的な問題が渦巻いていました。お金があまりない中で、どうやってスウェーデンまでたどり着くか。それでも、オーストラリアで一緒に過ごしたトビーとの再会、そして彼の新たな生活の門出を祝いたいという気持ちは、どんな障壁よりも大きな原動力になりました。無理をしてでも行く価値があると、自分の中で強く思っていたのです。

トビーが住むヨーテボリは、スウェーデン第2の都市で、北欧らしい自然と都会の利便性が共存する町と聞いていました。ただ、私にとってその場所は、地図の上に描かれた遠い点に過ぎませんでした。ロンドンからそのヨーテボリまでの距離はおよそ1200キロ、当時の私にはそれがどれほどの旅になるのか、正直なところあまり実感が湧いていませんでした。

とはいえ、現実的な制約は沢山あります。まず、予算の問題です。贅沢な移動手段など夢のまた夢。飛行機で行くのはあまりにも高額すぎましたし、鉄道も手が出ません。選択肢として残ったのは、国際バスでした。値段は正確には覚えていませんが、往復で40~50ポンド程度だったのではなかったかと記憶しています。当時の自分にとっては、それでも十分に大きな出費でした。節約のために何か月も小遣いを貯め、無理をして捻出したお金でした。

ルートについても事前に少し調べました。ロンドンのビクトリアコーチステーションから出発し、最初の目的地はドーバー。そこからフェリーでドーバー海峡を渡ります。到着するのはフランスのカレー港かダンケルク港だったと思いますが、そのあたりの記憶は曖昧です。フランスに到着した後はベルギーを抜け、オランダのアムステルダムを目指します。

アムステルダムでの乗り継ぎが終わると、バスはドイツへと進みます。ハンブルグを抜け、ドイツ北部のキール港で再びフェリーに乗り込むことになります。2度目のフェリーはバルト海を渡り、スウェーデンのヨーテボリ港へと向かうルートです。こうして陸と海を繰り返しながら、ヨーテボリへたどり着く壮大な旅になる予定です。

この旅程全体で、移動にかかる時間はおおよそ30時間。夜中にロンドンを出発し、ヨーテボリに着くのは翌々日の朝。途中でいくつもの国境を越え、陸路と海路をつなぎながら進む旅です。バスの中で何をして過ごせばいいのか、どんな景色が見られるのか、どんな乗客と隣り合わせになるのか、未知の経験への期待と不安が入り混じっていました。

ただ、このルートを決めた時点では、それほど深く考えていませんでした。トビーに会えるという気持ちが最優先であり、移動の大変さや長旅の苦労は後回しにしていました。お金がないなりに、最も安く、そして確実にトビーの住むヨーテボリに到着する方法を選んだ結果が、この国際バスルートだったのです。

期待と不安の入り混じった旅立ち

旅行当日、少し興奮気味の自分を抑えながら、大きめのバックパックを背負い、ビクトリア駅から徒歩10分ほどの場所にあるビクトリアコーチステーションに向かいました。これから始まる長旅に向けて、足取りは自然と軽くなっていましたが、その裏でどこかざわつく心も感じていました。「国際バスでの長距離旅なんて初めてだし、本当にうまく行くだろうか?」という思いが、頭の片隅をちらついていました。

事前に購入していたアムステルダム行きのチケットを手に、ステーションの中で出発ゲートを探しました。案内板を見上げると、アムステルダム行きのバスのゲートがすぐに見つかり、一安心しました。しかし、その安心もつかの間、ゲートにはすでに列ができているのを見て焦りを覚えました。「早く並ばないと、良い席が取れないかもしれない」。慌てて列の最後尾に加わりました。

列に並んでからは、これから始まる旅路について考えを巡らせていました。30時間以上かかると言われている道のり、途中での乗り継ぎやフェリーでの移動、ヨーテボリに着いたらトビーと再会できるという楽しみ……。様々な思いが頭をよぎる中で、ふと列の先頭に目を向けると、一人の若い女性が何かを懇願しているような光景が目に入りました。

彼女との遭遇

その女性は、リュックを背負った小柄な若い女性で、大学生くらいに見えました。列に並んでいる人たち一人一人に話しかけながら、少しずつ列の後ろに進んできています。その表情は明らかに困窮している様子で、目には涙を浮かべ、切迫感を漂わせていました。彼女が一人ずつ、なにかを話しかけては断られている様子が伝わってきます。相手にしない人もいれば、手で追い払うような仕草をする人もいます。

彼女が話しかける内容までは最初聞き取れませんでしたが、彼女がこちらに近づいてくるにつれて、その声がはっきりと聞こえてくるようになりました。

「私は、留学中の学生で、アムステルダムの実家に急いで帰らなければなりません。でも、ここに来る途中で財布を落としてしまってお金がないんです。おばあちゃんが危篤で、どうしてもこのバスに乗らなければならないんです。どうか、お金を貸してください!」

泣きながら切々と語る彼女の言葉を聞いて、私は胸がざわつきました。一方で、周囲の反応は冷たいものでした。誰も彼女を信用していない様子で、冷たく断ったり、表情ひとつ変えずに無視をしたりと、まるで彼女の存在そのものを拒絶するようでした。

ついに彼女が私の番に到達しました。彼女は目を真っ赤に腫らし、泣き声混じりの声で、これまで他の人たちにしてきたのと同じ話を繰り返しました。

「本当なの?」と私が口を開いた瞬間、彼女はさらに大きな声で泣き出し、「大好きなおばあちゃんの最後に会えなくなる!」と訴えてきました。その涙と必死な様子に、私はどうにも抗えない気持ちになってしまいました。彼女が本当に困っているのだと思い込み、どうにか助けてあげたいという気持ちが沸き上がってきたのです。すぐ後ろに並んでいた男性が、私に「無視したほうがいい、嘘に決まっている」と耳打ちしてきましたが、可哀そうと思うムードがそのアドバイスも耳に入らなくなっていたかもしれません。

「アムステルダムまでのチケットはいくらなの?」と尋ねると、「20ポンドです」と答えました。財布の中には40ポンドだけ。自分の旅費に余裕がないことは重々承知していましたが、彼女の切実な訴えを前に、私はとうとう20ポンドを彼女に渡してしまいました。彼女に20ポンドを渡すと更に大きな泣き声で「こんな優しくされたことはない」といって抱きついてきました。

彼女は泣きながら私に感謝の言葉を述べ、「バスの席はあなたの隣に座るから安心でしょ」とか「アムステルダムに両親が迎えに来ているからすぐにお金を返すね」とか、いろいろと話しはじめました。そして、「チケットを買ってくるね」と言い残し、足早にチケット売り場へと向かっていきました。

しかし、背後にいた男性が私に耳打ちしてきました。「一緒に行ったほうがいい。チケットを買うのを見届けた方がいいぞ」。そのアドバイスにハッとして、彼女の後を追いかけましたが、突然、彼女は方向を変えて全速力で走り出しました。

驚いて追いかけると、彼女はステーションの出口に停められた車に乗り込み、「早く出して!」と叫びながら、車は急発進して姿を消しました。呆然として立ち尽くす私。すべてが一瞬の出来事で、状況を理解するのに時間がかかりました。

残された感情

後ろに並んでいた男性が肩を叩き、「だから言っただろう」と慰めてくれました。「まぁ、ひどい目にあったな。でも、順番は俺の家族が取ってるから戻ってきなよ」と声をかけてくれました。その優しい言葉に涙が滲み、列に戻ると、彼の奥さんと小さな子供が笑顔で私を迎えてくれました。

彼はさらに袋入りのミニキャロットを差し出し、「これでも食べて元気出せよ」と言いました。小指ほどの生の人参が30本ほど入った袋。それはイギリスの旅のおやつの定番でした。何ともいえない気持ちでそれを受け取りながら、彼の気遣いが身に染み、涙声で「ありがとう」と伝えましたが、心の中はまだそのショックから抜け出せませんでした。

長い旅のはじまり

バスは時間通りに発車し、ロンドンの街並みを背にドーバーを目指して走り出しました。夜の闇が窓の外を覆う中、バスのエンジン音が単調に響きます。車内は静まり返り、ほとんどの乗客がうつむいて休んでいましたが、私は簡単には眠れませんでした。寸借詐欺で20ポンドを失った後の悔しさと、自分の未熟さを振り返る気持ちが胸に押し寄せていたからです。

やがてバスはドーバー港に到着し、フェリーに乗り換えるための準備が始まりました。冷たい海風が肌を刺すようで、思わず上着を強く握りしめました。フェリーのデッキに出てみると、広がる暗い海の向こうに微かに見える灯りが、これから向かう未知の土地を予感させました。短い時間でしたが、新鮮な空気を吸い込むと、少しだけ心が軽くなるような気がしました。

フランスに到着すると、バスは再び走り出します。ここからベルギーを抜け、オランダのアムステルダムへ向かうルートです。窓の外に広がる街並みや田園風景をぼんやり眺めながら、私の頭の中では次々といろいろな考えが巡っていました。

アムステルダムでの乗り継ぎ時間、ふと「さっきの寸借詐欺の女性の家族がいるかもしれない」と、いるはずもない人たちを探してしまいました。もしかしたら、あの出来事は何かの間違いだったのではないか、いや、やっぱり自分は騙されたのだ…。そんな考えが頭を巡り、現実と感情が絡み合っていました。しかし、当然そんな人影はどこにもありませんでした。

新しいバスに乗り込むと、ここから先はさらに長い道のりが続きます。ドイツのハンブルクを通り抜け、キール港へと向かう中、次第に疲労が体にのしかかってきました。途中の休憩所で食べ物を調達することもできましたが、お金がないので我慢しました。誤ってパンや軽食が入った大きなバックパックをバスのトランクに預けてしまっており、バスとはいえ国際線のため、ヨーテボリに到着するまで取り出せないことに発車後に気づきました。仕方なく、男性家族からもらったミニキャロットだけが、私の頼みの綱となりました。

ミニキャロットは、小さくて食べ応えこそありませんでしたが、時間をかけてゆっくり噛みしめることで空腹を紛らわせました。甘みのある味わいと、口に広がるささやかな満足感は、長旅の中で何よりも貴重な存在でした。

ヨーテボリ港での予想外の出来事

2回目のフェリーでヨーテボリ港に到着した時には、身体はすっかり疲れ切っていました。しかし、北欧らしい凛とした空気と、静謐な港の風景に、どこか新鮮な気持ちも湧き上がってきました。

しかし、ここでまた予想外の事態が起こります。港を出たバスが市内へ向かうのではなく、大きな倉庫の中に入っていったのです。バスは止まり、乗客全員が降ろされました。そこから、男女別に分けられ、個別の部屋へと連れて行かれたのです。

その部屋で待ち受けていたのは、麻薬検査でした。もちろん私は麻薬など持っていませんが、荷物や身体を徹底的に調べられるという初めての経験に、心臓がバクバクと高鳴りました。すべての服を脱ぎ、背中を向けたりしゃがんだりするよう指示される中、冷たい視線が突き刺さるようでした。

審査官は「これは抜き打ちのチェックで、特定の便を対象に定期的に行っているんだよ。運が悪かったね」と説明し、何度も謝罪の言葉を口にしていましたが、状況の緊迫感は消えませんでした。全てが終わり、再びバスに乗り込んだ時には、もう体力も気力も残っていませんでした。

再会の喜び

バスがヨーテボリのコーチステーションに到着した時、真っ先に目に飛び込んできたのは、トビーと彼のスウェーデン人の彼女の姿でした。二人が笑顔で手を振っているのを見た瞬間、これまでの疲れと不安が一気に溶けていくようでした。

トビーと抱き合った時、自然と涙がこぼれました。寸借詐欺、長旅の空腹、そして最後の麻薬チェックと、波乱に満ちた道程を経て、ようやく二人に会えたことへの安堵感が押し寄せてきたのです。トビーから「本当に来てくれてありがとう」と言われたその言葉は、今でも心に残っています。

それから、トビーと彼女に連れられて、ヨーテボリの街へと向かいました。明るい北欧の街並みを見ながら、「ここまで来た」という達成感がじんわりと胸に広がっていきました。この旅が私にとって、ただの移動ではなく、人生の一つの大きな経験となったことを、この時改めて実感しました。

ヨーテボリでのひととき:再会と気づきの旅

ヨーテボリで過ごした数日間は、まさに感情のジェットコースターのようでした。トビーとその奥さんは、私が寸借詐欺に遭った話を聞くと、すぐに「それじゃあ、この滞在中の食事や遊びは僕たちに任せて」と言って、全ての出費を負担してくれました。彼らの厚意に甘えさせてもらいながらも、心のどこかで申し訳ない気持ちがずっと残っていました。トビーは、「大丈夫だって!ここまで来てくれたんだから、これくらいさせてよ」と笑い飛ばしてくれましたが、私は彼らの寛大さに改めて感謝し、少し胸が熱くなりました。

滞在中、トビー夫婦が「せっかくだから」と連れて行ってくれたのが、北欧最大の遊園地であるリセベリ遊園地でした。色とりどりのアトラクションが並び、北欧らしい自然を取り入れた広大な敷地で、3人で思う存分楽しみました。久しぶりに訪れた遊園地ということもあり、私はまるで子どもに戻ったかのようにアトラクションに興じ、二人と笑い合いました。

また、ヨーテボリ滞在中に偶然開催されていたヨーテボリ・ハーフマラソンも印象に残っています。この大会は北欧最大級のマラソンイベントで、街中が応援ムード一色に染まり、ランナーたちが大通りを駆け抜ける様子は圧巻でした。トビー夫婦と一緒に沿道でランナーを応援しながら、そのエネルギーに感化されたのか、自分も何かに挑戦したいという思いが胸に湧き上がりました。

ヨーテボリで驚いたことの一つに、物価の高さがありました。たとえば、マクドナルドのビッグマックセットが当時の日本円で約2000円ほどしていたと思います。学生の身としては、その価格だけでもため息が出そうになりました。トビー夫婦が北欧の物価事情について教えてくれました。

「北欧は確かに物価が高いけれど、国民には食事や日用品の買い物に使えるクーポンのようなものが支給されているから、実際には半額くらいの負担で済むんだよ」とトビーが教えてくれました。具体的には、一定の条件でスーパーでの食材や外食でクーポンを使える制度が整備されていて、それが生活を支える仕組みになっているそうです。

その話を聞いて、北欧の社会制度の手厚さに感心しました。一見すると高額に思える生活費も、国民にとっては現実的な負担に抑えられているのです。当時は全く知識がありませんでしたがその背景には、福祉国家としての北欧のシステムがあったのだと思います。

私が「じゃあ、このビッグマックセットもクーポンで安くなるの?」と尋ねると、トビーは笑いながら「そうだね、半額くらいで買えることもあるよ」と教えてくれました。

このような社会の仕組みを目の当たりにすることで、物価の高さだけでは測れない「暮らしの豊かさ」があることを感じさせられました。普段の生活がどう支えられているのかを知ることで、北欧の人々が感じている安心感や生活の安定を垣間見ることができたと思います。

トビー夫婦のなれそめ

今回の旅の最大のエピソードは、トビーとスウェーデン人の奥さんのなれそめについて知ることができたことでした。当初、トビーに直接聞いてみたのですが、彼は恥ずかしがって言葉を濁すばかり。しかし、ある日、トビーが席を外している間に奥さんが「内緒だけど」と教えてくれたのです。

二人はオーストラリアで出会い、帰国するまでの間に交際を始めたものの、別々の国に戻ることで一度は別れることになったそうです。その時、トビーは彼女の誕生日に贈るつもりだった指輪を渡すタイミングを逃してしまい、持ち帰らざるを得ませんでした。それから2年以上、その指輪を大切に持ち続けたトビーは、ついに意を決してスウェーデンまでプロポーズに訪れたのです。「指輪は安物だったけれど、それを2年も持ち続けてくれたことに心を動かされて、結婚を決めた」と彼女が笑顔で話してくれたのを覚えています。

このエピソードを聞いて、トビーが話したがらなかった理由も納得しました。控えめで誠実な彼らしい一面を再確認しながら、私自身もなんだか嬉しい気持ちになったのです。

寸借詐欺とショートフィルムの構想

この旅を通じて、私は自分の中である一つのアイデアを思いつきました。寸借詐欺のエピソードをもとに、ショートフィルムを作ってみたいと思ったのです。トビー夫婦の物語から感じた「絆」や「信頼」のテーマと、イギリスでの苦い体験が重なり、新しい表現の形として心に浮かびました。

早速ノートを開き、イギリスで遭遇した寸借詐欺の体験を基にショートフィルムの構想を練りました。こんな内容でした。


《ロンドンに夢を抱いて来た青年は、初日に女詐欺師にすべてを奪われ、路上生活に追い込まれる。彼は不平を漏らさず懸命に働き続け、その姿を見た女詐欺師は罪悪感と複雑な感情に苛まれる。やがて彼女は、別の詐欺師に再び金を奪われた青年を目撃し、過去の自分の過ちを悟る。そして、奪った金を返すことで償おうと決意し、青年に金を差し出す。青年の「君はいい人間だ」という言葉は、彼女の心を揺さぶり、彼女は詐欺で得た全財産を持って警察に自首する。

数年後、出所した彼女を待っていたのは、かつて自分が騙したはずの青年だった。彼は「君から預かっていたお金を返しに来た」と告げ、封筒を差し出す。それは元々、彼女が彼から奪った金だったが、青年の行為で彼女の罪を償ったことが報われ、彼女に救いを与えた。彼女は涙を流し、冷たい風の中、過去の傷を乗り越えた二人の新たな物語が静かに始まる》


こんな感じの話だったと思います。振り返ってみると、このアイデア自体はありふれたものかもしれません。しかし、当時の私は、これを自分なりに考えついたことがとても嬉しく、自分に少しだけ自信が持てたように感じました。このストーリーを映画サークルで提案し、実際に映像化することができたらどうなにいいだろう。そんな思いが、旅の終わりに新しい目標を加えてくれたのです。

ヨーテボリでの数日間は、トビー夫婦との再会を通じて、心が穏やかになるひとときでした。彼らの新しい生活を見ていると、自分自身の将来について自然と考えさせられました。落ち着きと温かさに満ちた生活は、私にとってどこか刺激的で、新鮮な気持ちにさせてくれました。

帰り際、トビーが「またどこかで」と笑顔で手を振ってくれたとき、私はこの旅を決断して本当に良かったと素直に思いました。そして、長旅で少し疲れた私を気遣い、迎えてくれたトビー夫婦に、改めて感謝の気持ちが湧き上がりました。この旅を通して、思い出だけでなく、新しい視点と目標を得られたことが何よりの収穫だったと思います。

ロンドンに戻ってから、映画サークルの先生や仲間たちに旅の話をしました。
(映画サークルについて詳しくは人物月旦#03)

寸借詐欺にあった話や、ヨーテボリでの出来事を語る中で、「それを題材にショートフィルムを作ってみたい」という話をして、具体的な計画が動き出しました。

実際の体験を基にしたストーリーだったので、当時の出来事や気持ちをできるだけ正直に伝えるよう心がけました。仲間たちも興味を持ってくれ、一緒に形にしていく過程はとても充実していました。これは私にとって、初めてストーリーを持ったショートフィルム制作となり、映像を通じて自分の経験を伝える楽しさを知るきっかけとなりました。

寸借詐欺にあったことは決して良い出来事ではありませんが、その体験がこうした結果を生むとは思いもしませんでした。旅と制作を通じて感じたのは、日常の中にある出来事でも、捉え方次第で価値のあるものになるということです。この経験を経て、物事を少し違った視点から見ることの大切さを改めて実感しました。

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🔔Bell note / 鈴野 乙
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