涼虫

suzumushi。短い物語を書いています。

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  • 桔梗について

    登場人物…梗香(女優)、京(作家・撮影監督・脚本・演出)キョウコ(私) 物語の地図は「檸檬」にて

  • あのひとの

    noteでみつけた、すてきな写真や絵、そして文章をあつめています。

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記事一覧

葡萄

わたしの部屋には窓がある。両開きの縦に長い窓だ。窓の向こうには沼が見える。沼は広く、そして深い。湖のように青く透き通っている時もあれば、玉虫色に妖しく光っている…

涼虫
3年前
12

花束

皆が地下に降りていってから、とても静かだ。梗香は眠っている時間が格段に増えた。京さんは多分、部屋に籠って物語を描いている。 私は大事な友達の肌に触れた。簡単に言…

涼虫
3年前
5

薔薇

私は眠っていたの。それは長く、深い眠りだった。広くてふかふかのベッド、真っ白なベッドカバー。柔らかい羽枕に半分だけ顔を埋めて。サイドテーブルの大きな花瓶には、白…

涼虫
3年前
11

梗香

彼は同じ場所にいるのを好む人だ。同じカレー屋、同じバー、同じカフェ。いつものルーティン、心が揺れることのない日々。私のランダムなエネルギーはそこに収まるのだろう…

涼虫
3年前
7

檸檬

わたしがいつからここにいるのかはわからない。キョウコが十五歳で、初めて恋をしたあたりだろうか。相手は塾の先生で、十歳年上で、彼女が中学校を卒業してから付き合い始…

涼虫
3年前
16

桔梗

夕暮れ時、本を読みながら白ワインを飲んでいた。白地に虹色の挿絵が描かれていて、好きな装丁の本だ。最後に読んだのはいつだっただろう。どんな話なのかすっかり忘れてい…

涼虫
3年前
4

デルフィニウム

窓の外の空は、夕暮れが始まろうとしていた。お茶を淹れましょうか、と私は聞いて、それは違うなと思った。さっき喫茶店でコーヒーを飲んできたばかりだし。椅子に座った彼…

涼虫
3年前
6

好きだった人を遠目で見かけた。私はそっと目を逸らして席を立った。あの人でなくてはならない理由を論理的に説明せよ。そう思ったら全身の細胞が黙った。でも私は、あの人で自分の気持ちを消費することをもうやめたんだよ。

涼虫
3年前
4

八百屋で野菜を買ってくるね。彼の額と髪に触れて私は言う。眠りの中で朧げに彼は返事をする。サンダルをはいて外に出ると日差しが眩しい。小松菜、キャベツ、ミニトマト…サクランボは好きかなと思って、彼のことを何も知らないと気づく。袋を下げてぶらぶらと歩く。戻ったら林檎を剥こうと思う。

涼虫
5年前
8

彼のシンと静まり返った気配が好きだった。そこには誰も届かなかった。一つも面白いことをいわず、いつも自然のままで、楽しい?と聞くと普通、と答えた。そして普通が一番だといった。私と全く同じ体温を持ち、全く違う心の形をした人。もう二度と会うことのない人。

涼虫
5年前
8

もうそんなことはいい、終わったことはいい、私は楽しかった。夢のようだった。夏の明け方、あなたは私の魂をさらりと掬い上げた。あなたは私と同じ色を持ち、でも同じ形ではなかった。私が紀元後ならばあなたは紀元前だ。その違いが私たちを遠く隔てても、あなたは確かに私の片割れだと、そう思う。

涼虫
6年前
5

波風

彼は感情を理性で整える。それを見ていると私は不思議な気持ちになる。彼は人なのだなと思う。私は自分のことを、木や、風や、雫のようなものだと思っている。何も力を加え…

涼虫
6年前
7

もう貴方は見つけて下さったのでしょう?夜に紛れた私を紛うことなく摘み取れるほどに

涼虫
6年前
4

永遠の夕闇を風が撫でていく、リプレイ

涼虫
6年前
6

どこからも足跡を辿れぬよう姿を消した。私は初めからあなたの前にはいなかった。突風が吹くと十マス戻る。記憶は終わりかけの薔薇の残像とすり替わる。

涼虫
6年前
8

我々は終われたのだろうか。木蓮の樹に尋ねても答えはない。西の風が吹き、花びらが微かに揺れる。

涼虫
6年前
7
葡萄

葡萄

わたしの部屋には窓がある。両開きの縦に長い窓だ。窓の向こうには沼が見える。沼は広く、そして深い。湖のように青く透き通っている時もあれば、玉虫色に妖しく光っている時もある。時折、沼の遠く向こうで白い龍が沐浴をしているのを見かける。憂いを帯びたアーモンド形の瞳、真っ白な長い睫毛。優雅に胴体をうねらせて水と戯れる。

龍は雌で、ロマンチストで、強大なエネルギーを持っている。おそらく原始の頃からずっと生き

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花束

花束

皆が地下に降りていってから、とても静かだ。梗香は眠っている時間が格段に増えた。京さんは多分、部屋に籠って物語を描いている。

私は大事な友達の肌に触れた。簡単に言うと、そういうことだ。それは想像よりもずっと素敵で、そして苦しいことだった。私には恋愛感情がなかった。でも、この人を深く愛したいと思った。静かに、つつがなく、私がキョウコという女のままで。

もちろんそんな簡単にはいかなかった。

私はま

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薔薇

薔薇

私は眠っていたの。それは長く、深い眠りだった。広くてふかふかのベッド、真っ白なベッドカバー。柔らかい羽枕に半分だけ顔を埋めて。サイドテーブルの大きな花瓶には、白い薔薇が沢山生けられている。薔薇の香りに包まれて微睡むのは気持ちがいい。私は桔梗の名を持つけれど、自分を薔薇だと思うこともある。

ここは地下三階で、地上からは遠い。長い階段を降りると六角形の広いスペースがあって、いくつか扉がある。その中の

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梗香

梗香

彼は同じ場所にいるのを好む人だ。同じカレー屋、同じバー、同じカフェ。いつものルーティン、心が揺れることのない日々。私のランダムなエネルギーはそこに収まるのだろうか、という疑問があった。その一方で、彼のルーティンの一部として溶けていくのは、体感として面白いかもしれないと思いついた。それはどういうことなのだろう。私が実態を失って、静物画のようになっていくことなのか。

キャストの持つ、静謐なルーティン

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檸檬

檸檬

わたしがいつからここにいるのかはわからない。キョウコが十五歳で、初めて恋をしたあたりだろうか。相手は塾の先生で、十歳年上で、彼女が中学校を卒業してから付き合い始めた。まだ子供だったから、淡い付き合いだった。春の夜、ドライブの帰りに夜景を見に行った。男と二人で宝石箱をひっくり返したような夜を見下ろした。その時初めて、彼女は心の中でシャッターを切った。網膜に焼き付けるように。この記憶を文章に落としこん

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桔梗

桔梗

夕暮れ時、本を読みながら白ワインを飲んでいた。白地に虹色の挿絵が描かれていて、好きな装丁の本だ。最後に読んだのはいつだっただろう。どんな話なのかすっかり忘れていて、久しぶりに本棚から手に取った。読み進めていくと、これは深い喪失の物語だと思い出した。じわじわと自分の力が奪われていくほどの、リアルなやりきれなさを感じる。主人公がフィンランド行きを決めたところで、ぱたりと本を閉じた。辛すぎて読み進められ

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デルフィニウム

デルフィニウム

窓の外の空は、夕暮れが始まろうとしていた。お茶を淹れましょうか、と私は聞いて、それは違うなと思った。さっき喫茶店でコーヒーを飲んできたばかりだし。椅子に座った彼を立ったまま抱きしめた。約束のハグ。彼は額を私の鎖骨に押し付けるようにして、背中に回した腕に力を込めた。私は不思議な思いでその力強さを受け止めた。こんな風に、縋るように抱きしめられたことが今まであっただろうか。テーブルの上の花瓶に生けられた

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好きだった人を遠目で見かけた。私はそっと目を逸らして席を立った。あの人でなくてはならない理由を論理的に説明せよ。そう思ったら全身の細胞が黙った。でも私は、あの人で自分の気持ちを消費することをもうやめたんだよ。

八百屋で野菜を買ってくるね。彼の額と髪に触れて私は言う。眠りの中で朧げに彼は返事をする。サンダルをはいて外に出ると日差しが眩しい。小松菜、キャベツ、ミニトマト…サクランボは好きかなと思って、彼のことを何も知らないと気づく。袋を下げてぶらぶらと歩く。戻ったら林檎を剥こうと思う。

彼のシンと静まり返った気配が好きだった。そこには誰も届かなかった。一つも面白いことをいわず、いつも自然のままで、楽しい?と聞くと普通、と答えた。そして普通が一番だといった。私と全く同じ体温を持ち、全く違う心の形をした人。もう二度と会うことのない人。

もうそんなことはいい、終わったことはいい、私は楽しかった。夢のようだった。夏の明け方、あなたは私の魂をさらりと掬い上げた。あなたは私と同じ色を持ち、でも同じ形ではなかった。私が紀元後ならばあなたは紀元前だ。その違いが私たちを遠く隔てても、あなたは確かに私の片割れだと、そう思う。

波風

波風

彼は感情を理性で整える。それを見ていると私は不思議な気持ちになる。彼は人なのだなと思う。私は自分のことを、木や、風や、雫のようなものだと思っている。何も力を加えない。ただそこに在る。私が自分の感情をありのままに伝えると、彼は波風を立てないでほしいという。私は混乱する。心には波があるのが当たり前だと思っていたから。凪は、作り出すものではない。そこには無風という風が吹いている。最新の注意を払って心の凪

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もう貴方は見つけて下さったのでしょう?夜に紛れた私を紛うことなく摘み取れるほどに

永遠の夕闇を風が撫でていく、リプレイ

どこからも足跡を辿れぬよう姿を消した。私は初めからあなたの前にはいなかった。突風が吹くと十マス戻る。記憶は終わりかけの薔薇の残像とすり替わる。

我々は終われたのだろうか。木蓮の樹に尋ねても答えはない。西の風が吹き、花びらが微かに揺れる。