ベるお君です

ヤングケアラー・マルトリートメント・孤独・共依存…を経て、自分の人生歩めるようになった…

ベるお君です

ヤングケアラー・マルトリートメント・孤独・共依存…を経て、自分の人生歩めるようになった 「自分なりの哲学」 「自分なりの内省録」 備忘録としても

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病気なったけど実(み)になった私の精神療法

精神科の治療には3本柱があると主治医から聞きました。 (順番は関係なくなんとなくで受け取ってください。) 薬物治療 精神療法 環境調整・休養 今回は、私の精神療法について書きます。 さわりといった感じで、具体的なことについてはまた今度書いていきます。 私は、今の状態を十全に活かす”支持的精神療法”でなく 「自分自身のパーソナリティや考え方、価値観への変化や成長といったものをチャンレンジしていく精神療法」 を行っています。 その精神療法の詳細名は専門家でないのでわかり

    • 安全基地のなかで少しずつ回復していったこと

      私は精神疾患の診断を受けて、14年になる。 長い道のりだったようで、今思うともう14年も経ったのかと早く感じてしまうほどもっと時間が欲しいようにも思う。 医療者や福祉職の方、役所の方など色々な人に救ってもらって今がある。 でも、何より自分のやってきたことが今につながっていると振り返れる。 状態はまずまず重かったと思う。 家にいてもいろんな人から攻撃されていると思いながら、安心なんてほど遠い恐怖の毎日が続いていた。 苦しくなんのために息をしているのかわからない日々だった。

      • 人と比べるときしんどくなる。隣の芝生はよく青く見えるものだ。

        何かと人や架空の何かや普通とか常識とかと比べてしんどくなることがある。 そもそも人間は比べる生き物らしい。 確かに日常で言うと、何かを買うときどちらを選ぶか考えているときに必ず比較している。 例えばバナナを選ぶときに、どれが綺麗か見比べて購入するバナナを選ぶといった感じ。 でも、バナナが熟している方がいいと手に取る人もいれば、まだ青っぽさがあるバナナを選ぶ人もいる。 その背景は、好みもあれば使う用途によって変えている場合もある。 結局、好みや使う用途=価値基準なのかもしれない

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