めげずに望む様な職場を探し続けたら、そんなあなたを待っている場所がきっと見つかる
さあ困った!新卒なのに就職先が無い!
本当に私が行き当たりばったりの脳天気なんですが
入りたかった水彩画家であり、
日本初のファッションイラストレータだった長沢節先生の
セツ・モードセミナーの新入生募集に定員オーバーで入学が出来ず、
次の秋期生募集まで待たなくてはならなくなったことから
私の人生が決まったわけです。
それも、秋期生だと今後どうなるのか
いよいよセツを卒業するという時までわかっていませんでした。
さあ、就職先を探そうと言うときに
秋ですから新卒の募集は無いですし、セツは就職の斡旋をしないので
自力で何とかするしか無かったわけです。
立体裁断の学校の代わりにオートクチュールへ
立体裁断の勉強をしたいと思っていて
連絡先がわかったオートクチュールのアトリエに片っ端から電話しました。
TVの「流行通信」で海外のデザイナーがボディにシーチングを留め付けて
直接ドレーピングする、あれが学びたかった!
別に求人があるわけでも無いところばかり。
でもね、意外なことにかなりの確率で面接はしてもらえた。
セツの卒業生だった花井幸子先生は
後輩だからと言うことで直接会って下さった。
とても優しく私の話を聞いて下さって、
企画と縫製する人は完全に分かれているので
うちではあなたが思っている様な仕事は出来ないと思うわよ。
と、アドバイスして下さった。
私が面接して頂いたアトリエはオートクチュールにプレタ。
テーブルウェアや寝具などたくさんのライセンス商品を
出している様な大手で
どうやら私が思っている様な働き方は
出来そうにありませんでした。
そこで細野久さんと君島一郎さんのアトリエに在籍した後に
同僚だった叔母と結婚して自分達のオートクチュールアトリエを営んでいた
叔父に相談してみることにしました。
なんでそこに就職しないんだ?って思うでしょ?
それがダメなんです。
叔父夫妻はとっても厳格な人で子供がいない。
私が高校を卒業するときにアトリエに来ないかと誘われました。
服飾学校とかを卒業してデザインや服飾の知識を少しでも身につけると
叔父が教えることを素直に学べなくなるから
うちは高卒の子しか雇わない。
今うちに来ないのならもううちには来られないよと言われていました。
さあ東京に出てやりたいことを思い切りやろう!と、思っていたのに
自宅アトリエなので住むのも仕事するのも叔父の家。
これはどうにも窮屈!
で、断ってしまったんです。
で、状況を話して何処か紹介して欲しいと
ちょっと気まずかったけれど相談しました。
すると叔父は
「そりゃあさあ、今日本で一番なのは植田いつ子さんかなあ?」
「だれそれ?」
「あんた、オートクチュールに行きたいとかいいながら
植田いつ子さん知らないの?」
「知らない💦 おじさん連絡先知ってる?」
「知らないことも無いけど…
本当に行きたいのなら自分で調べなさい!」
と、言われ、
会社四季報に掲載があるのを見つけて
当時の美智子皇太子妃の専属デザイナーだった植田先生に
面接して頂けることになりました。
結局面接して頂くまでに3ヶ月かかりましたが
「私はね、来る者拒まずなのよ~!」と言って下さり入社が決まりました。
面接の際に
植田先生は「デザイン画は持ってきた?」と聞いて下さった。
それまでの面接では自分で仕立てたものを見せてとは言われても
デザイン画を見せてと言って下さるところは無かったので
「多分ここは私が思っている事を学ぶことが出来そう!」って思った。
究極のブランディングを垣間見た!
最近よくブランディングって言われますが、
植田先生はブランディングの頂点だったと思う。
美智子様が外遊となれば、そちらの衣装が最優先となるので
一般のお客様は、自分のオーダーしたものがいつ手に入るかわからない。
一般といっても一流の女流作家さんや、経営者、日舞のお家元といった方達です。
でも皆さん先生の服がとにかく欲しい!
いつになるかわからなくてもとりあえずオーダーしていかれる。
ご友人や姉妹でいらっしゃると誰かがブラウスをオーダーすると
じゃあ私も!と、皆さんブラウスを注文し、
誰かスーツを頼めば皆さんスーツを頼まれる。
究極のブランディングと聞くと
ああ、きっとああいう事なんだろうな。と、思う。
でももう誰にもマネが出来ないんだろうな…
実は私がずーっと憧れていたのは菊池武生さん
オートクチュールに入ってはみたものの
自分が最終的目指すのは慣れ親しんだDCブランドだとはずっと思っていて
DCブランドに就職した友人がいきいきとしている様をみると
オートクチュール見習いでいることに焦りを感じだしてしまい
植田先生のアトリエを結局1年ちょっとで退職してしまいました。
いまなら当時の私にもう少しそこで頑張ってみなよ!って
アドバイスするのですが…
次に行くあても決めずに退職してしまい、
ちょうどワールドに移籍したばかりのTAKEO KIKUCHIブランドの
求人はあったものの、条件が4年以上の経験者ということで
ダメ元でデザイン画を付けて応募したものの基準に達していませんと
そっくり送り返されてしまいました。
はい、またもや
あての無い就職活動です。
最初は求人情報を探したのですが、
そうそう自分の指向性にあうブランドがタイミングよく
求人している可能性はまずありえず、
いやいやどんなテイストでもデザインするのが
デザイナーの能力よね!と、
気を取り直して面接に挑みましたが
落ちまくる。
そりゃそうです。
同期から後れをとってほぼ新人の私。
そんな時にふと思ったのが
ファッションブランドは沢山あるのに
求人の数はたかが知れてる。
求人広告は出していないけど、
誰かいい人がいたら雇ってもいいと思っている会社は
あるかもしれない。
求人広告から探すのでは無くて働きたいと思う会社にきいてみよう!
だった。
買ってきた雑誌「流行通信」を一通り見て
一番気に入ったブランドに
巻末の取材協力先をみてコンタクトをとった。
「デザイナーいりませんか?」
そうしたらなんと会ってくれるという。
ずっと素敵だなと思っていたLITSUKO MINBUというブランドだった。
在籍はそれ程長くなかったけれど、
デザイナー、テキスタイルデザイナー、ニットデザイナー、パタンナー
みんながファッションを愛していて
自分の仕事にプライドを持っているそんな素敵な人たちが集まっていた。
企業デザイナーとして在籍した場所の中で一番の場所だった。
今の時代、
求人をかけるのにもかなりの予算がいるのだとか?
多分予算が無くて求人広告は出せないけれど、
人手は足りていない。
いい人がいたらぜひ雇いたいと思っている企業は沢山あるはず!
あなたが
十件程度の不採用にもめげずに
望む様な職場を探し続けたら
そんなあなたを待っている場所がきっと見つかるって
私のこれまでの経験を通して思います。
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