優しさと愛は似て非なるもの
とっても心の綺麗な人がいる。
でもその人は、自分なんて汚い人間だから、っていう。
「心が綺麗」と「汚い人間」って一見相反する言葉に見えるけど、実は共存できるのかななんてことを最近考え始める。
心は人間の一部だからとってもちっぽけなものに見えるけど、それが全てを映しているんだよね。
心はなかなか自分では見えないものだから、すごく綺麗な心を持っている人なのに、それに気づいていないってことがあるのかしら。
心は人を介して外に初めて出て来られるものだから、綺麗な心に触れたら綺麗!って伝えることが大事だなぁと思う。
ともかく、私は鏡のように人の心をその人に映してあげられる人になりたい。そしたら、ずっと言ってる「やさしいせかい」ができるかな!
さて。「優しさと愛は似て非なるもの」のお話をしようか
意見をはっきり言う、意思疎通する。そこで初めて繋がる。それを重ねるうちに発生する目に見えないもの。それが「愛」。味もしないし、具体的に定義もされていない気がする。だから考える価値がある。
「優しさ」は「好き」にちょっと似ているので、「好き」のお話を。「好き」はその人の人生を豊かにする物、人に対しての感情。「愛」はその人の人生を変える物、人に対しての感情。
「好き」と「愛」の違いは何だろう?って言われたらこう答えるかな。答えなんていらないんだけどね。いらないけれど問いについて考えることがとっても大事。
「優しさ」は愛よりも軽いものと捉えている人が多い気がするけれど、実はそんなことない存在だと思う。身近に困った人がいたら助ける、人の痛みをわかることができる、常にその先のことを考えながら「優しさ」って動いている気がするんだ。無意識に想像しているんだよね、きっと。
そんな風に人との関わりの中でその先を想像できる、人間って素敵だなと思うからどんなに人間嫌いって思っても完全には嫌いになれないんだなぁ。
明日をちゃんと迎えられますように。私の周りにやさしいせかいが増えますように🪄