kinmokusei
朝8時前に外へ出て、お散歩をしていたら分倍河原駅というところまで来ていて、そこから京王線の電車に乗りました。ぼーっと乗っていたのですが、下高井戸 という駅名に聞き覚えがあったので降りることにしました。下高井戸駅からどっちへどれだけ進んでいるのか分からないまま、犬と散歩をしている人やランニングしてる人、出勤中の人とすれ違い、あいさつをしたりされたり。赤松公園のコンクリートエリアでは大きめの子供たちがバスケをしたり親子でキャッチボールをしたり。マスクをしていたりしていなかったり。砂場ではちいちゃい子がバケツを砂でいっぱいにして何分もかけて数メートルを移動してる。遊具で遊ぶ子の側には大人がいて、走ったら走り、止まったら止まり。自転車を乗り回す女の子。コンクリートの円形の階段をスコップで叩く子。バレーボールをしてる女の子2人。ボールが自転車の男の子の顔に当たったけど、お互いに大笑いして、それだけだった。痛がりもせず心配もせず、謝らず。大笑いして、何もなかったみたいにまたバレーボールを飛ばし、自転車に乗り続ける。今当てたのが3回目だけど、自転車の少年が3ポイント〜と言っていた。彼の優しさなのかもしれない。いくつかあるベンチには、ひとりひとつ、大人が座っている。本を読んでる人、すごい体勢で携帯を見てる人、ぼーっとなにかを見つめてる人。みんなときどき声を出す子どもたちの方を見る。砂を運んでいたちびっ子が砂場に帰ってきて、砂を戻し、固めて、また違う砂でいっぱいにして旅立とうとしている。さっきまで履いていた靴はどこかへやってしまったらしく、裸足で。父親が走って靴を探しに行った。走る子どもの後ろを犬が走って追いかけ、その犬を飼い主が追いかける。
なんだろうな。人が動いていて嬉しい。
意味のわからないことに意味を求めず、意味という存在も知らないまま、初めて出会った同世代の人間と遊び喧嘩して笑ったり泣いたり、どの大人がどの子の親なのか分からない。分からなくていいのかもしれない、いいんだけど。同じ令和3年、9月11日、午前9時半、コロナ禍を生きる人間なのに、全然違うな。違う世界みたいだ。全然違う世界なのかもしれない。今生きているわたしが、これから生きていくわたしが、見ていい景色なんだろうか。同じだと思ったら死ぬような気がした。
子どもと共にいる大人はマスクをしていない。ひとりで居る大人はマスクを外せない。マスクを外すのが怖い。なんでか分からない。今風が吹いて、少し金木犀の香りを含んでいる。今気づいたけど、わたしのうしろの植木は金木犀だった。花は2割くらい咲いている。マスクをしていても、金木犀の香りはおかまないなしに入ってくる。ありがとうと思う。
なわとびしよっと。
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