この時代に、なぜオペラやクラシック なのか?@芸術的人間学Vol.4
■コロナ禍で叫ばれる「不要不急の外出を控えて
下さい!」という言葉
コロナ禍で叫ばれる「不要不急の外出を控えて下さい!」という
言葉についての違和感は他の記事でも述べた事がある。
「不要不急」や「stay home」という言葉を政治も、メディアも
気軽に使っているが、人間の行動を制限し、制約するという事は
人間にとってどういう事を意味するのだろうか?
日本国内も世界中、コロナ禍で混乱しているのは誰しも理解している。
今まで良しとされてきた、人が集うこと、人が移動することを
コロナ禍で良しとされなくなってきた。接触、移動を禁じるという
事に繋がり、現に特措法で罰する法律まで成立した。
コロナ後の格差は生まれ、ハイテクが進み、実店舗は、ダメージを
受ける。政府もテクノロジーによって国民の管理を強める危険性がある様に思う。緊急事態だからといって行政機関がさまざまなルールを
どんどん作って立法府がないがしろにされれば民主主義のこれまた危険
である。
人間は信頼できる仲間を増やすように進化し、
移動することによって集団と集団の関係を密に作ってきたと
言われている。人が集い、人が移動する事でグローバルな社会が
生まれてきた。古代文明で生態系に負荷をかけ、農業で
共同作業をし、生態系と人間が距離を縮め人が集った。
野生動物を家畜化する事で都市化していった訳で。
ウイルスは、野生動物を感染源に生まれるので、自然破壊を
止めなければ感染症はどんどん身近なものとなる。
感染症が変えたものは何なのか?
操られる力もあれば、操られない反発の力もあるだろう。
社会的実験や政治的実験も進むだろう。
疫学というのは数学であるので、単に人間を1つのコマとして
見たり、数字とだけしか追われていない。
自然と人間、そして、安全を取るのか自由を取るのか
みたいな極端な選択を求められている様に感じる。
本来の大陸文化やグローバルや国際化というのは、
人種も国籍も思想、風土、文化、習慣、宗教、言語も違う
人間が個で集い、違うものが尊敬し合い成り立つはずが、
世界がグローバル化する中で経済格差が生まれ、
多くの人達がさまざまな事情や仕事で国境を越えて
外国に住むようになり、文化的な衝突やアイデンティティーに
対する対立が生まれた様に思う。ある種のグローバリゼーションの
分断とも言える。
寛容さが失われ、不寛容が高まるという事は、
過激派が増えていく要因にもなる。
これらを踏まえても、不要不急やstay homeという言葉は、
それぞれの個がそれぞれに大切にしている人間の本質を
否定され、規律や法律で行動に制限や制約をかけている
様に思う。非常事態の時は民主主義が崩壊しやすく、
全体主義へと向かう危険性がある。その兆候は世界で
見られている様に思う。人間の社会の作り方の危機とも
言えよう。
■コロナ禍で生の表現の場が奪われ動画、配信に移行される時代
歌や踊りは他の楽器と違って、自分の身で勝負できる音楽の様に思う。
家庭環境はそれぞれで、楽器が買ってもらえないとしても、歌と踊りは
自分の身で始めれる事は始められる。
このコロナ禍で皆、生の音楽の場が良いと分かっていても
この世の中の流れや、主催者の判断で配信のみになったり、
表現の場がクラシックの世界でも動画、配信となってきたのは
紛れもない事実の様に思う。
私は、これまでコンサートや舞台の生の音にこだわってきて、
基本、電子ピアノでの演奏すら長年NGにしてきた。
近年は、ダンサーとの仕事や、被災地や学校、病院、施設で
音楽そのものが大切になる場合は、NGを取っ払うが、極力電子
ピアノはNGにしている。だから、このコロナ禍になるまで、
動画も音源もほとんど持っていない。
母が亡くなった最後の東京のホスピスでも
音楽療法士さんがミュージックタイムと言って素敵な
時間に空間を作ってくれていたが、
私には、音楽療法というなら、同じ電子ピアノでも
もっと音にこだわってキーボードをこだわるべき
ではないかと思っていて病室でポロっと言うと、
母は「私らは、もうコンサートに行けず、何かして
もらえるだけで嬉しいのだから、口が裂けても
今の言葉を言うな!」とひどく怒られたのを覚えている(笑)
しかし、私からすれば今も同じ思いで、
だからこそ、コンサートホール以上に音や音楽に
こだわるべきではないのか?とは思っている。
私もコロナ禍にyoutubeを始めた。
機械音痴で不器用な私なりに編集しながらやっている。
ただ、動画にせよ配信にせよ、そこでお金を取るには
テレビ並みの編集力がいる様に思うし、音楽そのものより、
編集技術が勝負の世界になる。見せ方というか。
動画や配信する空間もやはり素敵な空間の方が良いので、
ホールや空間を借りた方が良いし、動画にせよ配信にせよ
機材が良い方が良いに決まっているので、やはり、資本力が
勝負になってしまう。
私が両親を大学時代に亡くしフリーランスでここまで
やってきたのは、お金が無くても音楽が好きで、
フリーランスでどこまで行けるかの挑戦だったし、
環境が豊かで無くてもここまでは行けるよっていうのを
いつも示したいと思ってきた様に思う。(まだその過程ではあるが)
そのぶん、私と結婚しても良いと考えてくれた彼女達の
想いに応えられず、いつも音楽を優先して生きてきてしまい
今に至る(笑)結婚の話は余談であるが、
あまりにも動画、配信にクラシック業界も
シフトすれば、経済的に恵まれなければ音楽家を
志せなくなる事に危惧している。
何より生の音楽で無いクラシックに魅力を感じない。
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