学校なんて行かなくてもいいじゃん。
いじめを含む人間関係、成績、進級、進学、さまざまな悩みが子ども時代の、ごく短い時期(子ども達には、とてつもなく長く感じると思うが)に起こる。
「思春期だからさ」というと、「ざっくりだなあ」って笑われたけど、私は「思春期だからね」というずるい言葉を使う。なんでかって、とても多様で多感な感じがするから。この時代にしか、感じ取れない様々なことがあったと、思うからなのだけど。
季節がかわるとき、様々な悩みから自らの命を絶ってしまう子ども達がいる。
ニュースでみるたび、文字通り胸が痛む。
命を絶つほどの痛みがある場所なら
行かなくていい。
逃げていい。辞めていい。心から、そう思う。
大人達も、できるだけ早く察知して「がんばれ」じゃなく、「逃げるのも選択肢のひとつや!」と、言ってあげて欲しい。
そう思うのは、乱暴?
命を絶つほどの痛みと、闘わなくてはならないなんて、絶対おかしいよ。
逃げていいよ。それは負けじゃ無い、絶対に君が弱いからじゃない。
うちのファミリーの男の子。
小学校でゆるやかに長時間、嫌がらせを受けていた。「いじめ、までは行かないのかもしれないけど、嫌なことがあったのは事実」と彼は話しながら、学校で先生に助けを求めることは「したくなかった」と言った。
なぜって。
「大好きな担任の先生を困らせる、心配かけるから」
(いじめっこ達にバレたら、仕返しされることも、脳内には浮かんでいただろうとは思う)
「親には、まあ、言えないよね。心配かけるし」
「親は、子どもに心配かけられても、知らされないよりは辛くないもんだよ」と言うと「冷静に考えればそうなのかもしれないけど、その時はそんな風には思わないよ」と返された。
彼は、ゆるやかに、いつ終わるとも分からない「いやがらせ」の中にいた。
原因は「俺にもある」という。「俺、変わってるじゃん?」
んまあ、変わってる。個性的。周りのテンポに無理して合わせないしね。みんなが黙って見逃そうとするいじめっこ達の行動に対して、真っ向から「やめろよ!」と声をあげたのも君だった。
「大丈夫。何もないよ」と言い続ける中で、最終学年の時には「月曜病少年」になっていた。月曜日の朝は、熱は出るし、咳も止まらなくなるし、食欲だって無くなった。
そのうち、毎日のように「あー、行きたくねーなあ」とつぶやきながら、辟易だぜって顔で登校するようになった。
気持ち悪い・・・と、起きてこれない朝も出てくる。ほとんどの日は「とりあえず行きなさい。ダメだったら連絡してもらって。迎えにいくから」と送り出すのだけれど。時折は、「今日は休みなさい」と言うこともある。「そうするー」とベッドへ戻っていく。家族が学校に「お休みします」と連絡を入れる時間になると、俄然元気になって、上機嫌で自分のためにチーズオムレツを焼く。
そして秋の終わり。
「中学校どうする?」 と私は尋ねた。
「逃げてもいいぞ。もうさー、逃げて良いよ。逃げることは、負けじゃない」と伝えた。
「これからの3年間を、どう過ごしたいのか、自分の人生だからしっかりと考えていい。自分で決めて良い。教育委員会から知らせてくる中学校へ行くのもいい。市内の私立中学校を受験するのも、手。市外でもいいし。まあ、いっそ学校に行かないって手もあるよね。学校に行かなくったって、学ぶことはできるし、人間関係を学ぶ場面だってあるし。」
選択肢は、たくさんある。
君の人生は、たった一度。
でも、選ぶ道は、たくさんあるんだよ。
毎日、吐きながら登校する意味なんて、ない。
彼は、しばらく日数をおいて言った。
「俺、人間関係を1回リセットしたい。このまま中学校へ行ったら、俺は今の俺のキャラのまま、変わる事が出来ない。」
と。
「だから、市内の私立に行くことにする。」
「学校は行きたい。今しか行けないしね」
あれから、数年。
彼に負けないくらい個性的な仲間たちと、毎日楽しく過ごしている。欠席は年間に2,3日。風邪とインフルくらい。
彼は、「別に、俺が変わった訳じゃないと思う。今だって、あいつらとすれ違ったら、からかってきたりするし。」と笑う。
でも、「まだ、あの下らない時間の中に、あいつらは留まってるんだなーって思うんだよね。だから、もう嫌だとかは思わない。いい意味で無視してる」と、良いながらニッカリと笑う。
大人ができることは、「選択肢はいくらでもある」ってことを伝えることだと思う。「死ぬしかない」なんて、子ども達に思わせたくない・・・。
学校なんて行かなくてもいい。
学校から飛び出しちゃっていい。