流れ流れたRIVER
「RIVER」という曲が生まれたのは、今から20年以上も前のことだ。
当時、私は東京で修行時代を過ごしていた。芝居の専門学校を飛び級で卒業してしまい、とある事務所に登録。小さいながらさまざまな現場で仕事をしていた。
テレビ番組の再現VTRや、バラエティーの一般人役。
化粧品CMの「お肌の水分量を測らせてください」というシーンでのエキストラ出演。だが、実際の数値は私の肌ではなく、設定されたものであった。
「運動のビフォーアフター」の効果を見せるため、ヒップだけを撮影したいという依頼もあったが、これにはさすがに断った。
業界の裏側にある”仕組み”に気づくこともあった。ある日、大好きで見ていた番組の一般人役オーディションを、テレビ局で目の当たりにしたときのショックは忘れられない。田舎にいる家族に電話をかけ、「テレビを信じちゃいけんよ!」と忠告したほどだ。
そんな中で、大手企業のCM撮影でのスタンドインの仕事があった。
横浜の広いスタジオでの二日間、私は主役の女優の代わりにカメラテストに立つ役割を任された。呼ばれれば照明の真ん中に立つ。指示される通りに動く。目線を動かす。チェックが終われば薄暗い隅の椅子に戻る。そしてまた呼ばれる。その繰り返しだ。
いてもいなくてもいいような、でも役割がある。自分の存在の危うさと確かさの間を行き来した。
そんな中で生まれたのが「RIVER」のメロディと歌詞だ。
私は夢中で楽譜を書いた。映像の仕事は、とにかく待ちが長い。
そのことを知っていたので、私は五線譜を持ち歩いていたのだ。
初めての録音は、ある若いエンジニア(今思えば、勉強中の人だったのだと思う)のもとで行った。アレンジには満足したものの、仕上がりに納得がいかず、特にバイオリンの音程に不満を感じた。修正を依頼したが「小夏さんの耳が良すぎて気になるだけ」と返された。実は今でも絶対そんなことはないと思うが、その頃の私は強く要求する術を知らなかった。
この曲が生まれ変わったのは2010年。ミニアルバム『あの夏の川のうた』に収められたもので、別のシンガーが歌った。繊細なアレンジと美しい歌唱で、新しい息吹を吹き込まれたこのバージョンは、私が歌うものとは異なる魅力を持っていて感動的だった。
そして、3回目の録音が2024年1月にYonny Soundsからリリースされたものだ。壮大で美しい仕上がりとなった。とはいえ、それは全てYonny氏の技術によるもので、自分の戸惑いがちな歌唱には恥ずかしさを感じていた。もちろんその歌声すら、編集過程で大いに磨かれている。
私は、プロの技術で化粧を施された鏡の中の自分を見るような気持ちがしていたし、石ころを魔法で宝石に変えてもらったような気分でもあった。
ただ、同年11月にミックスを再調整されたバージョンを聞いたとき、自分の中で完全に折り合いがついた。もちろんリリース版に満足していたが、さらに奥行きが見渡せるような音を聞いていると、あの眩しさと薄暗さの混在するスタジオで過ごした時間と、今の間の時空、そこにかたちなく漂う数々の悲しみと苦悩、そして幸福を思うのだ。
戸惑いの残る声でも、悪くなかったのかもしれない。都合の良い後付け解釈だが、個人的には重要なことだ。
タイミング良く、書類の整理していると、当時書いた「RIVER」の楽譜が出てきた。旧姓の本名が記されている。両親には申し訳ないが、私はこの名前が大嫌いだった。実際には、自分自身のことが嫌いだったのだと思う。
あの頃の私は、想像もできない未来の自分、
つまり、今の私に向かって語りかけていたのかもしれないという気がした。
2024年11月 小夏アユ