映画「i ai」。
神戸と明石で撮影された映画「i ai」(マヒトゥ・ザ・ピーポー監督)が今年の3月に公開され、マヒト監督と森山未來さんの舞台挨拶付きの上映をみにいきました。映画をみた直後に投稿した記事です。
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映画「i ai」の余韻がまだ残っていて、いろいろおもいはめぐったりして。そして思い出したことがあって。
私は神戸生まれで、森山未來さんと同郷で、そして今、神戸に住んでいますが、子供の時に音楽の時間に「うみはひろいな おおきいなあ」という歌を歌った時に「ひろい?おおきい?そうなのかなあ?」とこどもながら違和感を感じて。私が主にみていた海は父に連れられて釣りに行った芦屋浜からの海、塩屋の漁港からの海(主人公のコウの住む家は塩屋だと思う)そして須磨海岸の海で。芦屋浜から左の方をみたら向こうのほうに大阪の海岸線は見えるし、塩屋に行けば、すぐ近くに淡路島は見えるし、須磨だって。
そして子供の私は父に「海って大きいっておもわへんし広いともおもわへんねんやんか。なんか、うそ、歌ってるみたいでいややねん」と話しました。そうしたら父が「近くの海はそうかもしれへんなあ」と言い、その次の週末にバイクにのせて、兵庫の北側の日本海の方まで連れていってくれて。 そこは竹野海岸というところで、その海は広くて大きくて、そして青くて。「ひろいしおおきいしあおいなあ」と、そのまま父に伝えると、「海ってことばはひとつだけやけど、見る場所で全然ちがうなあ。何百通りも何千通りもあるんちがうかなあ」と言っていたことを覚えています。「自分がみてるもの全てが全てやなんて、かぎらへんやん?」とも。
神戸の海は山も近すぎることもあって、かなり独特で、そして海をみると、全く何も見えないということはなくて、ある種の閉塞感があるというか、無限の広がりを感じるということはない海で。 「i ai」に出てくる登場人物は破天荒なヒー兄だって、ヒー兄に憧れてバンドを初めたコウだって、ヒー兄の弟のキラも、バンドのメンバー、るーちゃん、久我、ライブハウスの店長、若頭・・・etc。みんな完全には「自由」に生きていなくて、それぞれなんらかの閉塞感を抱えながら生きているような。そんな登場人物たちが、ある種の閉塞感さえ感じる神戸、明石の海を見ながら生きているというのはすごく象徴的だと思ったのでした。
もっと言いたいことはあるけれど、映画の内容に触れすぎるのもいけないから・・・ 私には本当に刺さった映画でした。自分が普段歩いてる場所、行ったことがある場所、どこだかわかる場所がたくさん出てくるということもあるけれど、それを飛び越えて、刺さったのです。 この映画のエンドロールが終わっても、映画の中の登場人物や、うまく言えないけれど、この映画を観て揺さぶられたひとたち、この映画を作った人たち、まだあったこともない、思いを交わせるひとたちと共に生きたいって思ったのです。 赤いし、青い。そして痛いし、苦しくもあり。だけど私にとって、大切な一本になりました。そして、先日、2月29日にGEZANとサニーデイの2マンに行った際、GEZANは1曲目に「エンドロール」だったと思います。その意味がなんとなく、わかった気がするのです。