1995年、阪神淡路大震災での私の経験
「 #世界一のクリスマスツリー 」のイベント期間中、Twitter上で「世界一のクリスマスツリー」のアカウント(非公式アカウントです)を運用しながら、なんだか眠れない日々を過ごしていました。2017年11月の半ばから、結局1月17日を過ぎるあたりまでそんな感じでした。
私はその時までに自分が1995年の1月17日に、具体的にどのような体験をしたか、はっきりと誰にもいっていませんでした。それはいまだに自分の家族との間でもそうだったりします(家族の中で一番最後に私が助け出されたということもあるのですが、両親も兄弟も同じような経験をしているので、あえて話はしないというか、避けているというか、25年を来年迎えようとしている今でも実はそうです。仲のいい友人にもほとんど、話してはいません)。
そうだったのですが・・・2017年の早朝に、なんとなく、本当になんとなく、あの日の記憶などを私はつぶやきました。どうしてそうするに至ったのか、今でも自分ではよくわかりません。でもそのことを残しておこうかなと思います。様々な大きな災害が1995年以降、起こっています。ご自身が被災され、体験されたことがフラッシュバックするようであれば、以下は読まないようにされることをお勧めいたします。
こんなことが、1995年1月17日、#阪神淡路大震災 当日、神戸の東の端のほうでは起こっていたんだということをしっていただければ、何か役に立つならば・・・。改めて「世界一のクリスマスツリー」について、どうして批判をつづけたのか、その大きな理由のひとつをこの日のつぶやきで自分が明らかにしていたなとも気が付きました。
こころの傷をえぐられるし、初めてこの映像をみてから見ていなかったけど、このようなことがそこら中であって、これが現実で、この中にいた(このツイート、時間が経ったら消します)https://t.co/rHcjTiZE9L
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
朝だし人も少ないのでしばらくしたら消すけど自分語りを。私は15時間、倒壊した家からでられなかった。助けられたのは17日の夜になってから。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
その間のことを詳しくは言わないし、書くともっと蘇ってくるし言いませんが、たぶんプラントハンター氏が初めて感じたという「命の危険」とは違うだろう「命の危険」をあの時感じてだと思う。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
ああ、死ぬんかな、こわいな、こんな終わり?マジで?寒いな、ガスのにおいする、また揺れる、あかんやん、押しつぶされるやん、なんか足にささってる、あかんかもな、火事なったら終わりやん、意味わからん、息がしにくい、足いたい、重い
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
私が最初に感じたのは、命の危険じゃなくて、「命の終わり」だったなと。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
私と私の兄弟はそんな感じで埋まってて、兄弟は17日のお昼過ぎに助けられて。私はもう少し時間がかかって。両親は外に出られていたし、ずっと私を呼んでたけど。なんだか圧迫されてたから返事も上手くできず。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
いろんな人の協力で、その場所から出れた。命は助かった。でも自分のまだあたりには出られない人もたくさんいた。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
救急車も来れないから出てもガレージのようなところで横たわってた。それからどれぐらいたったのか、きをうしなって、つぎに目が覚めたときは、さっきリンクを貼った中にも言葉で出てきてたけど「甲南病院」という病院に運ばれてた。左足がややこしいことになってて、応急手当的なことしてくれたようで
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
でもきちんとした手術が必要で、自衛隊のヘリコプターで別の病院に搬送されて手術しました。大丈夫です、今は普通に歩けてます。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
家から出してもらって、ガレージに横たわってる時はしばらく意識もあったから色んなことが聞こえてきた。「○○さん、呼びかけても返事しはれへんしあかん」「あそこのおばあちゃんは手見えてるけどだせん」「火がくる」「また揺れた」
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
「あの家は家族全員埋まってる」「一番小さい男の子だけ出れてるけど、あとはあかんやろ。。」「どないせえいうねん、ほんま、なんやねん」。。。。そんな会話がたくさん聞こえてきたことを鮮明に覚えてる。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
その前の日まで「おはよう」「こんにちは」「ええ天気やな」「おかえり、どっかいってきたんか?」と普通に声をかけてくれてた近所の人たちの多くが亡くなった。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
私の家族が全員命が助かったのは本当に奇跡としか。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
あの木を見てると、私が助けられるまでに埋まってた時のことをこれまでにないぐらい思い出して。生きてるのに、徐々に死に近づいて行ってるような感覚?そんな感覚。死ぬんだな、死ぬの決定的やん、嫌やけどそうなるやろな、でも怖い、嫌や、そんな感じのあの時の心の動きを。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
近所のおっちゃん、おばちゃん、1本向こうの筋の家に住んでたおさななじみ、よくおつかいで行ったお店のおばちゃん、地震の前の日に父と近くの山にのぼってその時に偶然会った同じ町内のご家族、みんないなくなってしまった。同じ日に。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
生き残ったことには何が意味があるのかな、なんで私は死なんかったんやろ、なんで助けてもらっただけで、だれも助けられへんかったんやろう、色んな感情は22年経った今でも持っていて。普段は心の奥にしまっていて、ここまではっきり言うことはないけど。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
こんな感情を「僕も被災者なので」という免罪符とともに突然大きな木を神戸に持ってきたプラントハンターに無理やりひっぱりだされたわけで。いわゆるフラッシュバック。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
そんな、感じです。彼は「被災者様」になっているのでしょうかね。強い言い方ですか「被災者様の俺が大木を持ってきたからお前らも木の命に思いを馳せて追悼しろよ。鎮魂の思いをもてよ」と言われてる感覚。だから受け入れられないのかもしれない。
— 世界一のクリスマスツリー (@bekobe150) December 7, 2017
しばらくしたら上記のツイートは消去しようと当初は思っていたのですが、消さないでという声をいただき、残しております。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。