《エッセイ》8時だよ!全員集合
私が小学生の頃は
週末は家族でテレビを見るのが日常だった。
父は「8時だよ!全員集合」が好きだった。
昭和世代ならご理解いただけるだろう。
でも私はあまり好きではなかった。
※懐かしく当時を振り返りたい方にはこのあと読むことをおすすめしません。ご了承ください🙇
ある日、私の住む町にも
「8時だよ!全員集合」がやってくることに
なった。
町中がチケットを求めて盛り上がった。
両親は家族4人分のチケットを取ってくれた。
私はあまり気がすすまなかったが
その理由は自分でもわからなかった。
誰もが求めるチケット。
友達も羨ましがるだろう。
だけど、あまり行きたくなかった。
当日、町のホールは人でいっぱいだった。
結構前列の席だった。
いや、小さな町の唯一のホール。
指定席ではなく早い者順だったのかも?
小学生だったし
あまり細かなことは覚えていない。
両親の指示通り座って開演を待つ。
始まった。
うわー
いつもテレビで見る人は実在するんだ。
という驚き。
当たり前なんだけど。
いつもの茶番劇が始まり
最後はお決まりのタライが落ちてくる。
志村けんさんの頭に大きなタライが落ちる。
皆がどっと笑う。
何度もタライが落ちる。
皆の笑いはどんどん大きくなる。
対して私は
悲しくて悲しくて
涙が出そうになり
必死でこらえた。
子どもながらに
テレビで見るタライはきっと軽い物で
当たっても痛くない設計になっているのかと思っていた。
ところが近くで見る
この実在の志村けんさんと
実在のタライは激しくぶつかり
「ガッシャーーン!!」
とものすごい音をたてている。
こんなことしたら
志村さんが死んでしまう!
私はこらえきれずに泣き出した。
皆が笑っているのに
泣いているのは恥ずかしいし
ハンカチもないし
ただただ固まるしかなかった。
ついに母に泣いているのがバレた。
「まぁ〜そんなに面白かったんじゃね」
と言われた。
違う。
私は絶望していた。
この世界に生きていかなければならない。
この先大人になり
この現実を受け入れて
皆に合わせて
笑わなくてはいけない。
そんなことが私にできるだろうか?
私は普通にはなれない。
どこまでもどこまでも
皆に賛同できず
ありとあらゆるところで
つっかえて
驚き立ち止まり
苦しんでいくのだ。
皆がお腹をかかえて笑っているのに
将来を悲観するような
子どもだった…
風邪で寝込んでいたら
急にそんなことを思い出した。
大人になった今
かなりホワイトな環境になりつつある。
が、今度は何もかも
言えない世の中になっている。
ほどよい
ころあいを
持てる大人でいたい。
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