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⑥2006年、北京初一人暮らし。


前回北京で美容師を始めて1年ほど経過した話を書きました。
今回はその後北京生活で体験したことなどを書きたいと思います。


东三环陥没

2006年早々に勤務していた美容室のすぐ近くで道路陥没が起きた。
当時はもう生活にも慣れて自転車を購入しそれで通勤していたが、勤務先付近が封鎖されてしまい帰宅するまでに5時間かかった。
勤務していたビルの屋上から陥没した道路を見たが、こんなにスカスカだったらまたいつ陥没してもおかしくないな・・・と思った。
そして3日もして何事もなかったかのように道路は元通りになった。


北京に来た当初「寮があるから!」と社長に騙されていて、結局寮などなく元々居る日本人の女性スタッフとしばらく一緒に住んでいたが、日本人スタッフが増えたこともあり2006年になり寮に住めることになった。

6階建ての1階のアパートに日本人女性スタッフ3人で住むことになった。
住み始めたのが春節前で泥棒が増える時期だったのも関係していたのだと思うが、夜リビングで3人で喋っていたら3部屋ある寝室のうちのひと部屋から「バリーン」と物凄い音がした。
3人で顔を見合わせてすぐ音のする部屋へ行ってみたら、バールのようなものを持った男が部屋を荒らしていた。
ギャーーー!!と3人で叫んで男は逃げていったのでまだ良かったが、あの時相手も複数人いたら・・・と思うとまだ運が良かった。
その後、そんな事もあったので寮はまたなくなり、その分住居手当を会社から出して個人で住むということになった。


初めての北京一人暮らし

住居手当が会社から1000元出るということになったので、自分でアパートを探すことした。
会社の中国人スタッフが、不動産会社で探すと仲介手数料取られるから「手递手」っていう新聞で探すといいよ!と教えてくれた。


↑こんな感じの新聞で、当時2元だった。

職場から近いほうがいいなあと思い、職場から歩いて10分もかからない場所にいい物件を見つけた。
まだゆっくりとしか中国語を話せなかったが、大家さんに部屋を見たいという内容の話を事前に中国人スタッフにどうやって話せばいいか聞いておき勇気を出して電話してみた。

大家さんは優しい北京人の女性で日本にも行ったことがある人だった。
部屋はかなり古めでシャワーも見たことがないような古いタイプだったが、1300元で一人で住むには十分な大きさだったのですぐに契約した。
そして大家さんから「もし日本人の友人を連れてきたりする場合は、廊下や階段などでは日本語を話さないほうがいいですよ」と忠告された。
ということで北京一人暮らしが始まった。


天津行き

一人暮らしが始まってすぐに、美容室の支店が天津にできたから3ヶ月位行ってきて!と言われ行くことになった。
当時、滨江道にあったイトキンのなかにお店が入っていて日本人のお客様も多かった。

天津にいる間、美容室から歩いて20分ほどの場所にある事務所住まいになった。
毎日お店の男性中国人スタイリストが、家で毎日シャワーをするのはもったいないからと事務所にシャワーを浴びに来ていた。
1ヶ月ほど経って、中国人スタッフたちに「美味しい凉面屋さんがあるからいこうよ!」とランチに誘われた。
行ってみると炎天下の中、鶏肉を切ったまな板と包丁でキュウリを刻んでいる。
正直ちょっとやばいなと思ったが、ビニール袋に入れられた麺を中国人スタッフと食べている自分もなんだか成長したな...と思って食べていた。

そしてその日の夜、事務所でシャワーしていたら急に腹が痛くなりシャワーから上がったのに冷や汗が止まらず目眩がして起き上がれなくなった。
しばらくして、いつもシャワーを浴びに来る中国人スタッフが事務所に来て私の異変に気づいた。
とりあえず白湯を飲ませてくれ、その後ベッドまで私を担いで寝かせ、「ダイジョブ、ワタシ、マッサジデキル」と言った。
その時初めて彼が日本語が少し話せるのを知った。

衰弱する私だが、彼がよく分からない秘伝のマッサージをしたら冷や汗が普通の汗になって少しだが力が戻った。
その後救急車を呼んでくれて、当時私の海外旅行保険の関係もあり、天津で24時間外国人を受け入れている病院がなく北京のSOSクリニックまで運ばれた。
検査した結果、重度の急性胃腸炎で一週間入院して退院した。

本当にシャワーを浴びに来る彼がいなかったら駄目だったかもしれない。
後日彼にお礼を良いに会いに行ったが既に美容室を辞めていなかった。



半裸のおやじ

急性胃腸炎から復活し、2ヶ月ほどしてお店の飲み会があり帰宅時間がいつもより遅くなった。
东三环から路地を一本入ったところに住んでいたのだが、後ろからビール瓶を持った半裸のおやじが歩いてきているのに気づいた。
後ろから「イーバイ!(100元)」と言いながらどんどん近づいてくる。
流石に怖くて走ったが、おやじも走って追いかけてくる。
「自分は男だ!!」と咄嗟に言い放ったがそれでもまだイーバイ!イーバイ!言いながら追いかけてくるので、全速力で走り住んでいるアパートの入口付近にある自転車置き場に隠れて助かった。
助かったから言えるが、走りながら流石に100元はちょっと安すぎるだろと思った。
それ以来、帰宅が遅くなる場合はタクシーでアパート下まで乗せてもらうようになった。


2006年は今振り返るとドタバタだった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

次回は北京市内での転職、初めて中国人の男性と付き合う話を書きたいと思います。



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