中国の歴史から庚子の2020年が試練の年になることは決まっていたのかも
2020年はまだ3ヶ月しか経ってないのに、今年はいろいろなことが起こりすぎて大変です。しかし、中国の言い伝えを知っていれば今年が受難の年になることは予測できたのかもしれません。
日本でも報道されているでしょうが、中国では新型コロナウイルス以外にも、建物の崩壊、次々と連続する山火事、土砂災害による列車の脱線などの天災や人災が起きています。
ネットでは「2020年の過酷な試練」や「2020年をリセットしたい」などの弱気な書き込みをけっこう見かけます。
3/30に起きた悲惨な出来事は中国のみんなにも堪えました。
湖南省内で、連日の雨による土砂崩れが発生。それがきっかけで列車が脱線し1人死亡、4人重傷、123人軽傷の事故に(2020年3月31日現在)。
↑そして四川の山火事が住宅街に近づいてる。全国から800以上の消防員を派遣して支援へ。
実は中国では「庚子年は災難の年」という古い言い方があります。
「庚子(かのえね)」年とは、十干と十二支で年を表現することで、60年一度の回りです。2020年は「庚子年」で、1840、1900、1960、2080も「庚子年」です。
災難の年という由来も、歴史やいにしえの教えである「地母经」の詩が教えてました。
個人的な感覚では「地母经」は風水や国運など占い系のもので、その上ある程度歴史上のものをまとめた内容も入ってます。
信じるかどうかはアナタ次第ですが、歴史を振り返るにこの内容のハマり方はちょっと怖いかもしれません。
詩なので訳すのは激ムズです。最初の段落を簡単に訳すと「運勢の悪い庚子年では国民の急死が増える。春夏は土砂災害、秋冬は食不足」。
都市伝説のようなものですが、中国人が義務教育で中国歴史を学ぶ際には近年の庚子年に起きた(中国人にとっての)大きな天災や人災についてを数わるそうです。
例えば
・1840年、アヘン戦争。↓ウィキから
アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清がアヘンの全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。
半植民地国家の始まりは清の中国にとって屈辱と言えます。ちょっと不謹慎ですが、原因は今でいうところの貿易戦とも言えます。
・1900年、八カ国連合軍が北京を侵略。紫禁城の占領と円明園の火事。清の戦敗によって各国に銀4億5000万両の賠償金を支払うことになり、これは「庚子賠償金」と言われます。
↓ウィキから
オーストリア=ハンガリー帝国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、ロシア、イギリスとアメリカによる連合軍であり、義和団の乱中の中国に干渉し、1900年の夏に北京の外交公使館の包囲を解いた。
1900年8月14日に約45000人の軍隊で北京を侵略して紫禁城も占領した 。軍事行動の最後に、清政府は1901年に北京議定書に調印した 。
北京獲得の後、連合軍は首都から略奪し、彼らがヨーロッパへ帰る途中で発見した多くの中国の遺産と共に紫禁城を略奪さえした。
・1960年、全国的な自然災害で数年にわたって続いた大規模な飢饉、数千万人の餓死者が出たそうです。
時代をもっと遡ると、他にも下記のような庚子年がありました。
・220年、曹操が死亡、中国が三国時代に入る。
・280年、三国時代終了。
・580年、南北朝の兵乱、翌年に隋朝が設立。
・760年、安史の乱。
と錚々たる出来事ばかり。
歴史の長い国なので、「これは煽りたい人たちのこじつけ、よくよく調べればどんな年にも大きな自然災害が出てくる」のかもしれません。
しかし時代の転換期や精神的にも負担がとても大きい出来事が多いことは事実であり、庚子年に起きたことがまとめられ国民に認知されていることは非常に興味深いです。
今年は今のところ中国だけでなく世界中で大変な年となっていますが頑張って乗り切らなければなりませんね。そして2080年まで生きて次の庚子年がどうなるのかを見てみたいです。
(参考資料)