僕がイジメをしていた時の話


あなたは誰かにイジメられた事はあるだろうか?

この記事にたどり着いた人は恐らく何かしらイジメという人類から切っても切り離せない悪癖に興味関心がある人が多い事と思う。
もっと率直に言うと、イジメられた事がある人が多いのではないか。

僕も、ある。

あなたはどうだろう?
あるだろうか?
それは、きっと辛い過去だった事と思う。

では、質問を変えよう。

あなたは誰かがイジメられているのを見た事があるだろうか?

僕は、ある。

それは教室でだったかもしれないし、バイト先だったかもしれないし、キャンパスだったり趣味の集まりだったり、会社でだったかもしれない。もしかすると、家の中かもしれない。

人が2人以上集まれば、イジメが発生する確率はゼロにはならない。

あなたはどうだろうか?

見て見ぬふりをした?
それとも助けようとした?

あなたは、その時何をしていただろうか?

最後にもう一度だけ質問を変えよう。



あなたは人をイジメた事があるだろうか?




僕は、ある。




これから書く記事は、イジメ根絶を啓蒙するものではないし、勿論過去の悪行を正当化するものでもない。さらに言えば、懺悔するものでもない。
自分が行った過去の愚行をただ淡々と書き連ねるだけのものになる。
そう、なってしまう。

ここから先は、恐らくだれにとっても有益な物にならず、恐らく多くの人間に不快感を与えるだけの文章になる。
もしかすると激しく僕を軽蔑する人も出てくるかもしれない。

故に、ここから先は有料とさせていただく。
読みたい人だけ読めばいい。




花ちゃんは病原菌だった。


イジメを語るのに必要な存在が2つある。
加害者と、被害者だ。

花ちゃんは被害者だった。
そして当時小学3年生の僕たちは加害者だった。
(花ちゃんと言うのは勿論仮名だ。念のため)



花ちゃんはクラスのほとんど全員から差別的かつ不当な扱いを受けていた。
朝の登校時、誰も彼女に声をかけず、帰りも勿論挨拶すらしない。
席替えの時に花ちゃんの席が自分に近づけばみんなが嫌そうな顔をする。
何かクラスの行事でチーム分けになれば必ず最後に一人余り、それこそ身体を接触させるようなイベントでは誰もが大げさに不愉快な態度を示す。
教室で泣いていた事も何度かある。
しかし、誰も彼女に同情しない。
それどころか、影で笑う事さえする。
僕もそうしていた。
今思えば、僕が彼女の笑ってる顔を見たのは2度か3度くらいしかない。
彼女の味方は僕が覚えている限り、担任の先生か家族か歳の少し離れた低学年の自分より小さな子達だった。
それだけはもしかしたら救いだったのかもしれない。
他のクラスメイトは大部分は彼女をヒトと思っていなかった。人間として扱っていなかった。


彼女は花ちゃん菌という名前の病原菌だったのだ。


花ちゃんは別にとんでもなく容姿が悪かったわけではない。
外国人や部落出身者などの差別を受けてしまいがちな属性の人間でもなかったし、知恵が遅れていたようにも思えない。
人格的に破綻していたり、人に迷惑をかけたり問題行動をしていたわけでもない。
それどころか優しい子だったように思う。

そんな彼女が病原菌扱いされる理由などあってよいのだろうか?
あっていいはずがない。

しかし、当時の僕たちには彼女を病原菌扱いするだけの理由が存在した。



彼女は教室で自分の鼻をほじってしまった。



ただ、それだけが発端だったように思う。

あなたにとってイジメとは何か?



イジメとは、そもそもなんだろうか?

上司が立場を利用して部下に無茶な仕事を押し付ける?喧嘩に強い少年が身体の弱い少年に暴力をふるう?お調子者がパーティーの最中にイケてない男をイジってからかう?職場でお局が入ってきたばかりの女の子の陰口を聞こえるように話す?出自の好ましくない隣人を同じマンションから出ていくように大勢で責め立てる?村の行事に参加させず葬式の時以外は存在を無視する?

全てが等しくイジメであるかもしれないし、そうでないかもしれない。

加害するほうがイジメと認識していない事もあれば、被害者が認識していない事もあるかもしれないし、第3者的な立場の人間が「それはイジメではない」と判断を下す事があるかもしれない。

例えば僕はディズニーのチップとデールが嫌いである。

僕が幼い頃見ていたディズニーのビデオでは毎回ドナルドがチップとデールにイジメられているように見えたからだ。

あなたはどうだろう?

チップとデールのドナルドに対する行いは、イタズラだろうか?
イジメだろうか?
それともイジメでない?

不法滞在をしている外国人労働者を入国管理局に告げ口するのは?キモくて金もないおじさんを避ける態度は?電車で他の乗客に迷惑をかける可哀そうな人をネットで笑いものにするのは?健全でない表現だからと言ってアニメの女の子のポスターを剥がさせるのは?在日外国人の家の前で大声で外国人排斥運動をするのは?些細なミスを犯した政治家を厳しく糾弾するのは?

僕にはどれがイジメでどれがイジメでないか定義は出来ないが、恐らく加害者は口をそろえて以下の見出しの言葉を使うように思う。

僕たちはイジメてません!

見出しの通り、当時の僕たちは「イジメなんてしていないです」と言い切っていた。僕も恐らく心からそう思っていた。それどころか、正しい行いをしているとさえ思っていた。
一人の女の子を集団でもってあんなにも追い詰めていたのに、である。

あなたは僕の事を恐ろしい子供だと思うだろうか?
一人の罪もない女の子にあれだけの仕打ちをしておいて、イジメなんてしていないなどと言い張る。悪魔の子だと思うだろうか?

僕にはもう何も言えない。


当時の事をもう少し話そう。


ある日、クラスで花ちゃんイジメに加担していた人物の中でも目立って嫌がらせをしている人物が昼休みの時間を利用して図書室に呼び出された。
呼び出したのは僕らの担任の先生だった。

先生は、今思い返しても本当に人間味溢れた素晴らしい先生だと思う。
子供の良い部分をしっかりと見てくれて、クラスをまとめるだけのリーダシップもあり、善い行いをした時はちゃんと褒めてくれる。

その先生にある日突然、大切な話があると確か10人~15人が呼び出された。
先生は聡明な方だったので、花ちゃんのためにクラス全員を集めるような事はしなかった。
その10何人の中にぼくもいた。

クラスメイト達の困惑した表情を浮かべてお互いの表情を見合わせた。
沈黙と気まずさが支配する図書室で、先生が僕たちを難しい顔で見つたまま口を開いた。

「なんで君たちは花さんをイジメるんだ」

流石にもう20年以上前の事だから細部は覚えていないが、だいたいそんな感じの始まりかただったと思う。細部を流石に思い出せないので、事実と違う部分も多いかもしれない。
もし誰か当時の同級生が見ているような事があれば指摘してくれて構わない。もっとも、イジメをしていた事実を覚えていればの話だが。

果たして本当に先生は聡明だったと思う。

何も答えられずにおどおどしていく僕たちの一人一人に理由を聞いていった。子供相手だからと舐めて、全員と一度に戦う事はしなかった。

「汚いから」「鼻をほじったから」「菌がうつるから」

一人一人、ポツリポツリと本心を答えていった。
その答えを聞いて先生は、怒鳴るでもなく難しい顔で頷いたりしていた。

やがて僕の番がまわってくる。

「屑川。君はどうなんだ?」

当時から僕はズルい子供だった。
きっと、怒られなくて済む言葉を必死でねじり出そうとしていたに違いない。そんな僕の口から出たのが見出しの言葉だった。

「僕たちはイジメていません!花ちゃんが嫌いだから避けているだけです!」

あの時の先生の怒っているような悲しんでいるような顔だけは今でも覚えている。
そして、先生が僕に言った。
「嫌いだからといってそう言う事をしていいのか?」
という言葉も覚えている。

僕たちは正しい事をしていた。


その後、その一件でイジメ問題が解決したかと言えばそうではない。
もし解決していたらこの記事のタイトルも「僕がイジメをやめられた理由」になれたかもしれないが、現実は3年B組のようにはいかない。

イジメはその後も続いていた。

以前のように目立ったからかいがなくなっただけで、水面下での病原菌扱いは変わらなかった。
悲しい事に僕が先生が言った大切な事の意味を知るのはもう少し後になってからだった。
イジメが目立たなくなって花ちゃんにとって良かったかどうかは僕にはわからない。
僕たちが陰でヒソヒソと花ちゃんに対しての嫌悪感を口に出し時にはイジワルに笑い合うのを彼女はじっと耐えていたのだと思う。

改めて聞くが、ここまで読んでくれた貴方は僕の事をどう思うだろうか?
悪魔のような子供だと思うだろうか?

しかし、最悪な事に僕は周りからは「優しい人間」と思われていた。

母親からも子供の頃なにかにつけては「忍は優しい子だね」と、祖母からも幾度となく「優しい」と、先生(前述の先生とは別)からも通信簿に「人の気持ちを思いやれる良い子」などと書かれていた。

当時放送していた家なき子を見ては涙をながし、阪神大震災が起きた時には被災者のために祈りを捧げるような「優しくて良い子」だったのだ。少なくとも周りの大人からの評価は。

そんな優しくて良い子が一人の悲しい女の子の気持ちは1ミリも想像しなかった。

何故ならその時の僕らにとって花ちゃんを排除しようとすることは正しい行いだったからだ。

今まさにコロナウィルスが猛威をふるい、公衆衛生に多くの人間が神経をとがらせているのはご存知の通りだと思う。

想像してほしい。

あなたの職場ないし教室に、マスクもつけずに所かまわず唾をまき散らし、手も洗わず鼻水さえ流しても気にすら留めない。

そんな人間がいたらあなたはその人の事をどう扱うだろう?

コロナウィルスでなくても、単純に不潔であったり、会社であれば能力が平均より大きく下回っていたり、コミュニケーション能力が低く挙動が不審であったり…

そんな人間がいたらあなたはその人の事をどう扱うだろう?
そして、今ではなくそういう人間が小学生の時のクラスメイトにいたらどうだっただろう?

全ての子供がそうであるとは勿論言えないが、僕の件から考えるに小学生くらいの子供には他者を思いやる能力が育っていない。
他社を思いやる想像力は生きる中で体験した物事や、色んな人間と出会い自分自身も傷ついたり傷つけたりしていく中でやっと育っていくものだと思う。

「優しい子だからイジメなんてしない」なんてことは、僕からすれば言い切れない事だと思う。

なぜなら良い子ほど正しい行いをしようとするので、悪と見做した相手に対してはとことん残虐になれる。

花ちゃんは病原菌だった。悪だった。排除すべき存在だった。

花ちゃんを悪く言えばみんなが同調した。花ちゃんをのけ者にすればみんなが笑いとともに褒めてくれる。花ちゃんと仲良くするなんてもってのほかだ。花ちゃんに手が触れた?急いで手を洗わなければ!



優しくて良い子である僕は、
わけもわからずばい菌扱いされ、誰も遊んだりお喋りしてくれず、帰る時もいつも一人ぼっちで、からかわれても「やめて」とも言い出せず、時には自分の机で顔を伏せって声を引きつらせて泣いている女の子の気持ちをついに想像できないままクラス替えで別のクラスになってしまった。

僕にはもう何もできない。


これ以上、小学生の時の愚行に関して書くこともないように思う、
最後にこの場を借りて謝罪を…、という事もできない。
謝る相手が目の前にいない謝罪はただのポーズでしかない。
花ちゃんが卒業後どうなったかも知らない。
生きていないかもしれない。
もし中学や高校に進学し、そこでもイジメられて心を病んだり、もっと最悪自殺をしてしまっていたりしたとしたら、その一因を作ったのは僕だ。

生きていたとしても会う事はないように思う。
今では当時の知り合いで連絡を取れる人間は一人もいない。
同窓会も開かれるように思えない。
そして、もし仮に再開するような事があったとしたら僕にはもう何もできない。

謝る事はするだろう。
涙さえ流すかもしれない。
だが、それ以上は?
金品を要求されたら?
責任を取れと詰られたら?
死んで詫びろと言われたら?
彼女にはそれを言うだけの理由と正当性がある。
そして僕はそれに応えられない。

もう僕には何もできない。
この記事が懺悔になるとも言えない。
反省文にすらならない。
そもそもこの記事を有料で公開する時点で屑だと思う。

もしかすると、僕に子供が出来た時に「人をイジメるという事がどんなに悲惨な事か」を説く事は出来るかもしれない。
しかし、それで小学生の時の花ちゃんが救われるわけではない。

これから先、生きていく中で他人に優しくしたり、正義について考えたり、正しい行いをしようと思う事もあるだろう。
その度に花ちゃんの事を思い出すわけでもないが、それでもふとした時に彼女の顔が浮かんでくるだろう。
僕は花ちゃんの事を頭の片隅に抱えて生きていく以外、何もできない。



最後に、もう一つ花ちゃんとの思い出を話してこの記事を終える。



実はクラス替えで花ちゃんと別れた後、小学5年生のころ、僕は花ちゃんと同じ学習塾に入った事がある。
当時は夜も遅くなるからという事で何度か母親が買い物ついでに迎えに来てくれていた。
その時1度だけたまたま帰るタイミングが重なり、帰り道が一緒だからと母親が言い出し、僕は一緒に花ちゃんと自転車を漕いで帰る事になってしまった。
当然僕は居心地が悪く、今すぐにでも花ちゃんと別れたかった。
だが、母親が一緒にいたのでスピードを合わせて自転車を漕ぐしかない。
それはそうだ。だって少し前まで病原菌扱いしてイジメていた女の子が母親と一緒に自転車で並走しているのだから。
しかし花ちゃんはその時、母親に僕からイジメを受けていた事も告げ口せず、それどころか僕の話に笑顔を見せてくれたりもしていた。

僕のようにただ周りの大人から「優しい」と言われてチヤホヤされていた僕と違って、本当に優しい子だったんだと思う。

僕は取り返しのつかない事をしてしまったと、改めて思う。

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